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誰にも会いたくない

私は自分で言うのもなんなのだけど、人当たりも良く、誰に対しても寛容で、

なんでも受け入れ、よく謝ってしまう人間だ。

それが利点でもあり、損点でもある。

人と話すことは好きだが、実は人見知りで、初めから自分のことを話すことが苦手というか、億劫になる時がある為

初めて会った人にはこちらから話を振って聞き役に徹しがちである。

気の置けない仲になれば別であるが、基本的なスタイルはこれであると言っていいだろう。

少し前まで、私は会社が好きだった。

自分のペースで仕事ができるし、みんな大好きだった。

しばらくしてから、中途採用のできる社員が増えて向上心の高い部署になったが為

ぬるま湯体質の私は次第に苦痛を感じるようになった。

それでも自分なりに頑張ってついていこうとしているのだが

たまにしんどくてしんどくて心が折れそうになる。

そんな時、朝目が覚めて初めに「誰にも会いたくない」と思うのだった。

誰にも会いたくないとはいえ会社には行かねばならない。

自分の機嫌を自分で治すよろしく、努力するのだがどうにもいかない時がある。

そんな時は「なんとなく痛む頭」を抱えて頭痛とみなし、お休みをとるのだ。

午前中は休んだことへの贖罪をし続ける。これは本当に精神的な負担になる。

こんなことを免罪符にするつもりはないが、登校拒否を続けていたせいか誰かに会わないことが日常だった故

人と接することが実は自覚のない負担になっているのだと気づくのだ。

誰かと過ごす日常は楽しい。

だが、無理している自分も見え隠れするこの環境に、

社会人なら当たり前のことができない自分が「普通」ではないのだと突きつけられて壊れそうになる。

この生活が合ってないのではないかとまで思いだす。

とは言え、会社は私がいなくても回っている。

誰かの負担が増えるが、回っていくのだ。

そう思う頃には午後になる。

むくりと起き抜けて、何か食べ物を探し、食材がなければ買いに出かけるか食べに出る。

1人の休日は1人で食事に出ることも多い。

オットは1人でレストランに入ることがないので、私のこの行動は不思議なようである。

私の場合、こういう状況下では家にいると余計に、心がいつか弾けてしまう気がしてならない。

一旦家を出ると、自分の好きなことをする。

こんな時はズル休みだって関係ない。

お気に入りのカフェへ行って、ショッピングへ行って、1人でカラオケにも行く。

漫画喫茶で好きなだけ漫画を読み漁ったり、こう言う時だからと昼食は少し豪華なものを食べる。

例えばこの感情や休んだ状況など、誰かに言うことができるなら

誰かに会って共感してもらえるならそれが一番癒されることなのかもしれない。

冒頭でもお伝えした通り、私は「普通」ではない。

「普通」のオットや「普通」の友達、ましてや「普通」の同僚に理解されることではないのだと思う。

きっと、甘えていると言われて終わりだろうし、みんな一緒だと一蹴されるかもしれない。

だから、相手に期待してはいけないと思う。それが普通なんだもの、仕方ない。

それだから、誰にも会いたくないのだ。

とは言っても、それが悪いことだとも思わない。私はそれを理解している。

建前など取り払った心の内で訴え続けているのは、理解されなくてもいい、ただ寄り添ってほしいのだ。

…と、思うことはきっとエゴだろう。

こんな時、お気に入りのカフェでゆっくりしていると疎遠になっていた旧友に会うことが数回あった。

お気に入りのカフェを教えてくれた張本人である。

もちろんそれを踏まえて遭遇率も高いのだと思うが、

それでも余りある程に曜日も時間もぴたりとはまって会うことなどあるものか。

誰にも会いたくない、と思っている私に

誰かに会いなさい、と言われているようにも感じる。

案外と、この生き方も悪くないのかもしれない、と思った。

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