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車2台と夫婦の家探し② 外伝

家探しに入る前に我々の車の話をしておこうと思う。
家探しとは少し関係のない話かもしれないので、外伝とする。
とはいえ、そんなに大それたことではないのに外伝とサブタイトルをつけて恥ずかしい気持ちでもある。
ご興味があれば一読いただければ幸いである。

※****

⭐︎  私たちと車たち ~主に私の車~ ⭐︎

オットは車歴で言えば、私の2倍は長い。

約30年近く、車所有歴を切らすことなく乗り続けている。

その間に乗った車は私の知る限りでは7、8台だろうか。

スカイライン、シルビア、ランティス、アルテッツァ、アテンザ、ロードスター(NA)、MSアクセラ、デミオ、ロードスター(ND)


…アレ9台かな…?


新車で買ってひっくり返し、ローンだけ数年支払い続けたと言うぶっ飛び経歴もあったが、

基本的にずっと車を所有し運転している。

そもそも車系の会社勤めだったせいでもあるが、

毎日運転していれば道理もわかるし、まあ運転が荒い時もあるが

運転は上手いと思う。

面と向かって誉めることはあまりしないが、安心して任せることができる人だと思う。

やはり国産スポーツカー全盛当時の人であり、

走りに行くと言うと山に行く感じの人だったらしいので、峠道はお手の物。

というか、走りに行きたい!というと大体峠道が多いと思う。


打って変わって私はというと、

最初は本当に免許を取る気がなくて、親に促されるまま教習所へ通った。

しかも本当に行きたくなくて、それぞれの学科であったり実技の取得期限をギリギリまで使ってようやく取ったのがAT限定免許だった。


当時の私はというと、まるで脳内お花畑・・・

「将来結婚したら戸建てに住んでそして家族の車もあって旦那さんが養ってくれるのキボンヌ(早口)」

という、当時の自分を殴ってやりたいと思うような思考であった。

とはいえ、当時の風潮として、まだ専業主婦が普通な時代でもあったのだとは思う。

親を見て、ゆくゆくは努力などしないでもこういうふうになるのだと漠然と思っていた。


AT限定の免許を取得しても、主に運転するのは実家のAT車であった。

それでも当時の彼氏がニッサンの180sxにMTで乗っており、

私自身某カー用品店でバイトをしていたこともあってMT車が周りに多く存在していた。

それでも特にMTに乗りたいなとは思っていなかったのだが…

あるとき、教習所から一通の葉書が来た。

この葉書を受け取ったあなたは3万円で限定解除できますよ!と。

話のネタに当時の彼に伝えると、もし限定解除したらこの車運転させてやるよと言われた。

前途の通り、当時本当に運転したかったのかと問われるとそうではなかった気もするが…

とにかく父親が安く取れるんだから取っておけという、

将来の私が歓喜するような助言をしたおかげで限定解除することになった。


ちなみにその180sxには一度だけ運転させてもらったが、緊張しまくりで結局運転の心地など気にする余裕はなかったことを記しておこう。

その後すぐに破局したのだが、これが原因ではない(はずである)。


教習所では所内の仮免取得前の生徒と一緒に実技を受ける形になり、

すでに路上で運転したことのある私は

他の生徒さんたちよりスムーズに運転ができるだけですごいと思われていたのである。

解除までに1ヶ月くらいだったかと思う。

免許センターへ赴き、免許の裏に限定解除のハンコを押してもらって、なんの実感もなく晴れてMTも運転できる身に…

そしてMTに慣れるべしと早速MT車の品定めに行った。


当時父が新車で出たばかりのアテンザ(GG3S)を購入。

その絡みでマツダ車に対して安心感があって、父と一緒にお世話になれば楽ではないかという安直な考えのもと

まずは中古車も置いてあった父の通っていたマツダディーラーへ向かったのであった。


スポーツカーが好きになってた私は、マツダ=RXー7!(しかもFD3S)と思い購入意欲に燃えていたのだが、

聞けば聞くほど燃費の悪さや素人では維持の難しさを知ってすぐに諦めた。

それにイジるお金も捻出はできない。

そこで勧められたのがNAロードスターである。

セブンと同じリトラクタブルヘッドライトの車が良かったので、

その勧めを飲み込み、ロードスターが選択肢に加わったのであった。


一度悩んだ後で一旦家に帰り、他にはないかと色々検索していく。


純正でもカッコよくて様になる車…


そんな時にダイハツのコペンのCMが流れてきた。

星空をバックに自動でオープンする、素敵なCMである。

NAを選択肢に入れていたせいで余計こう思うのであった…


オ ー プ ン カ ー い い な あ ! !


この後一度ダイハツへ話を聞きに行った。


コペンは新車しかない時代だったので、軽自動車でありながらNAより高かった。

しかも、幌ではなく自動のハードトップで手組みで作っているとのことで納期も2、3ヶ月先だった。


これまた悩んだ。


NAロードスターといえば、今では高騰しまくってもう手が出せないが


約18年前は9年落ちのSスペシャルが幌交換込みで、

しかもディーラー出身車を85万に値切って買えたのだ…!!


余談であるが、この時自分の中ではVスペシャルのグリーンボディのタン色革シートに憧れていた。

というか、ロードスターといえばこれだったのである。

まさに純正でもかっこいい車である。


Sスペシャル?なにそれ?だった私であったが、

目の前で見てから気持ちが高揚していくのがよくわかった。

とにかくカッコ良い。


このSスペシャルは父の担当営業さんが出回っている中古車から引っ張ってきてくれた車両だった。


中古で安く手動だが、すぐに取得できるNAか、

新車で高く自動だが、納車まで時間のかかるコペン。


ここで私がコペンを選んでいたら、きっと違う人生だったのかもしれない。

こんな可愛い車に、可愛くもないけど女子が乗ってたらちやほやの対象だったと思う。

もっと可愛く生きれたかもしれない。


ところが、私はNAを選んでしまう。

これが、私のロド沼の第一歩であった。

このNAは私の相棒になって、私の養子になって、最終的にムスコになったのだ。(謎

思い返せば、ジェットコースターのように過ぎ去る日々だった。

苦楽を共にとはこのことだ。

運転していても、自分の感情が車に全て伝わる。

シフトノブを握っていると自分の血液がそのまま車に流れて戻るように、

手足のように動くこのNAが愛おしく、いなくなることなど微塵も考えられなかった。


そしてこのNAに乗って色々走り回り、今のオットのいた仕事場に自分もバイトへいくことになった。

割愛するがそこで妙に距離が縮まって、交際へ発展。


その間にもNAは年老いていく。

よく車のことを知っているオットだからこそわかる、今後手がかかることを聞かされて

直すお金の方が出ていくことに挫けてしまい、手放すことを考え始める。


そこで次に買うならとバイト先で代車としてあったATのエッセを思いついたのだ。

エッセはATながら手足のように自由自在に運転することができた。

薄々「NAに似てるな…?」とは思っていた。

実際エッセとNAは生まれた時期が10年以上違うというのに、毛のはえた進化しかしていない車だったのだ。

人によるのだが、これはいい意味でも悪い意味でも捉えることができる。

むしろ、一般人からすればこの進化のなさに呆れることの方が多いはずだ。

ところが車変態の私は、むしろそこが愛おしいと思うのである…!


当時コペンを見にいったダイハツへ再び試乗へいくことになった。

そして、試乗を終えて一週間後に対応してくれた営業さんからお手紙が届く。


「 エ ッ セ が 生 産 終 了 と な り ま す 」 …  と !


なんてタイミングが良すぎるんだ…もっとNAが壊れてから購入を検討しようと決めたばかりじゃないか…!


しかし色々考えた挙句、、いいタイミングだったのかとNAを手放すことを決めたのだった。


しかも、最後に自分勝手なわがままだったのだが、廃車にする道を選んだ。

私の前に何人かオーナーがいたこの子、私が最後のオーナーでいたかった。

今思うと、本当にもったいないことだったかもしれないが、

もし今、同じように手放すことになったとしてもきっと、同じように廃車にしてしまうかもしれない。


考え方は色々あるはず。

次のオーナーへ引き継いで元気に過ごしてもらうのが幸せと思う気持ちがある一方で

私のように、もう他の誰にもこの運転席に座って欲しくないと思う気持ちもあることを理解していただきたい。

心の底から愛して、最期を看取りたいと思う狂気ではあったのだが…


もったいなかったと思いつつも、あの選択は自分が責任を持てる選択だったと今でも思う。


余談であはるが廃車にするので、様々なパーツを外した。

そしてその1パーツとして友人にボンネットを譲った。


そのボンネットはまだ現役で友人のNAに乗っていると聞く。

また、エンブレム類もひっぺがして私自身の思い出として奥底へしまった。

たまに思い出して撫でてやろう…と思っていた。

これはなんの因果か今のNDの車内に貼って飾っている。

NAはもしかしたら、私がまたロードスターに乗ることが分かっていたのかもしれない。

勝手な解釈ではあるが、また戻ってくるよ、と聞こえない声で言っていたんだろう。


そのときは、もう二度とロードスターは乗らない、

廃車にした君だけにすると誓ったのだから

NDを買ったときは少し申し訳ない気持ちになったんだけど。


廃車はエッセを買ったダイハツに頼んだ。

廃車にしたときに、コーションプレートも外して欲しいと伝えていたので

後日ダイハツへ受け取りに行った。

そのときはエッセで自宅へ帰り、家の駐車場でしばらく見つめて泣いたのを思い出す。

今でも免許証と一緒に保管している、今となってはいいお守りである。


と、しみじみと思い出を語ってしまっているが。


エッセもめっちゃくちゃいい車だったことをお伝えしたい。

エッセのMTはまるでNAロードスターのように直接的なミッションで、

NAと同じように手のひらから車に血液が巡るような感覚に陥った。

外見も瞳が大きくて台形で可愛かった。

ただ一つ欠点があるとするなら…それは軽自動車だということかもしれない。


正直言って、軽自動車はナメられるのだ。

一台ずつ合流する道で、一台のカウントすらさせてもらえない。

そして、大体アクセルは床までベタ踏みは当たり前。

それほどパワーがなかったが、限界まで攻め込むのは楽しかった。


そして時は巡ってNDを試乗した時に、心の片隅に居座っている私のNAに「ただいま」と言われた気になって

結果的にエッセを手放すことになった。


今度は年式も新しいし、次のオーナーに引き継ごうという気持ちになれたので

買い取っていただくことにした。


だが、買取専門の店へ持ち込んだところ、驚きの買取価格を得たのだ。

新車当時、購入価格が大体130万だったと記憶する。

買取価格は70万だった。


約半分の値段をつけてもらえたのは、本当にありがたく

これはNDの頭金となった。


エッセを手放した時も、本当は廃車にするまで乗るつもりで買ったので申し訳なくてしょうがなかった。

また買い戻せるなら買い戻したい気持ちも少しあったりする。


だが今現在、M T設定のある車すら珍しいのか、エッセもまた中古市場では高騰の一途を辿っている車の1台である。



また私は膝を伸ばして運転する車に戻ってしまっった。


ロードスター乗りに舞い戻るきっかけとなったのは何を隠そうオットである。

オット自身が欲しくて、試乗に行ったのについて行ったのが運の尽き?

本当はオットがハンコを押すつもりだったのに私が曇りなきまなこでハンコを押してしまったので

後々の喧嘩のタネになったことは言うまでもない。

しかしながら、試乗しないと言っていたのに試乗させたオットにも責任はあるのだし

喧嘩のタネにされる筋合いはなかったと思うの、私!!!


ただし、このタイミングでこのNDを手に入れたことは後悔していない。

NDがいなかったら発散できなかったストレスや、悲しみを解消できたのだから。

そこは、オットにも感謝してもらいたいものである(ドヤァ


しばらくは私のNDを一緒に乗っていたのだが、ついにこの時が来る。


ND友達が乗り換えを検討し、今乗っているNDを手放すという。

なかなか買い手がつかない雰囲気だったのと、オットも乗りたいという気持ちがあったので

譲り受けることになったのだ。


オットのNDはジムカーナ上がりのお転「馬」さんで、

私のNDよりも少し年上だが同じ1型になる。


こうして、我が家にはNDロードスターが2台揃うことになった。

それから約2年後に新居探しのあれこれを始めることになるのだった。

続く

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