ブラジルの備忘録4
備忘録4
色々な意味で危ない、サンタテレーザの路面電車。子供が飛び乗ってくるし、ひったくりも多い。2001年、私は、サンタテレーザに住んでいた。ラルゴ・ド・ギマラインスの近く。近所で強盗殺人の凶悪なのがあり、お部屋を借りていた背面にあるファヴェーラでバズーカ砲が発射されて、カテーチに引っ越したけれど、ものすごく愛着がある地区には違いない。レーナ・オルタ先生(トニーニョ・オルタの妹)にフルートを習うため、また、オペラのアリアのピアノ演奏をしてくれていた、クラウジオ・ヴィットーリ先生に伴奏してもらうため、私は彼の邸宅の一室を間借りしていた。クラウジオ先生はサンタテレーザには住んでいない。テレゾポリスだったか、山の上にあるリゾート地のようなところに普段は住んでいて、私が通っていたブラジル音楽院で授業があるときだけ、山からリオに降りて来た。
さて、リオで有名な宝石商でアルバイトしていたとき、噂話に聞いた本当の話。その人は、大学の教授だった。妻をリオに誘ったが、彼女はあぶないからという理由で、同行しなかった。リオで学会があった教授は、「黒いオルフェ」という有名な映画の舞台になったサンタテレーザの路面電車に乗りたいと思い、写真機(当時はスマホはない)片手に乗った。ところが、サンタテレーザはファヴェーラに囲まれている。治安は非常に悪い。コソ泥の少年が路面電車に飛び乗って来た。少年は教授の持っていた写真機を盗もうと手にかけたが、教授は、泥棒を振り払おうとしたのである。少年は写真機を放そうとはしなかったので、少年も、教授も一緒に路面電車から落下してしまった。その事故が原因で教授は亡くなってしまった。亡くなる直前、教授は、妻に国際電話をしていた。
「君に宝石が買いたいんだが、何がいいかい」
教授は愛する妻に、何かをお土産にしようと、世界的に有名な宝石商を訪ね、考えあぐねた挙句、妻に打診したのだ。奥さんは、冷たく、
「そんなものは要らないから、無事に帰ってきて」
と返答した。教授の遺体の引き取りにリオを訪れた際、その奥方は、教授が訪れた宝石商を訪ねた。そして教授が買おうとしていた宝石を買って日本に帰国した。
生きているうちにしか、伝えられない言葉があります。感謝とか、愛とか、その人がいなくなったらもう伝わらない。
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