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ブラジルの備忘録 25
備忘録25
ノルミーニャとの再会はあまりに突然だった。まず私は謝らなければいけない。また、果たせなかった録音の約束について、どうにか算段しようとも話せたかもしれない。たまには嘘をついても、他人の心を和らげるくらいの器量がない私は、本当に何も言えなかった。不憫に思ったのはノルミーニャの方だった。
「ケイコ、心配しなくていいよ。もう終わったことだよ。録音は果たせなかったけど、あんたといい思い出ができた。パウロもよく店に顔を出してくれるようになった。あんな事さえなければ全ては昔と同じってことさ。こだわったって仕方ない。ケイコはパウロ・ピピニェイロとよく仕事をしてるようだね。新聞を見て知っている。よかったよ、いい人に会えて。ちょっと偏屈なところを除けば、いいミュージシャンだ。しかも、あんたの好きなエリスはパウロのお兄さんとよく歌っていた。」
私たちがベンチ横の鉄パイプに寄りかかって話していると、警備に当たっている体格のいいモレーナが、
「邪魔だからそこどいて」、
と払いのけるしぐさをしながら近づいてきた。ノルミーニャは、
「だからサパタンは嫌いなんだ」、
と言った。サパタンとは、男勝りの女性、もしくは俗にいう「男女」の事だ。なぜ彼女がそういったのかわからない。たぶん自分の噂を心配したからだろう。
結局、ポルトアレグリのエスコーラには入らず、カーニバルの日に行列を見に行く程度で私は終わった。マリアたち二人は衣装を買い、練習にも参加して、カーニバルの”ala”(アラとは列の事)に参加していた。私は、一向に退去してくれない韓国人のキムの事で頭が一杯だった。その日はマリアたちの行列を見て、帰りにハンバーガーを食べに行った。普段はハンバーガーを食べたいとは思わないし、ブラジルのハンバーガーを特に美味しいとも思わない。みんなに誘われてなんとなく食べに行っても、何を食べているかわからないくらい頭がキムの事で一杯で、焦げ付いたガスコンロの事で一杯であったのである。
味のしないハンバーガを食べていると、いきなり店の人が私に聞く。
「日本人でしょ、今度娘が生まれるの。” Beija flor” ってつけたいんだけど。日本語でなんていうの」、
私はなぜかナプキンに「Nami 波」と書いてさっと渡した。“Beija flor”とは本当はハチドリの事だけど、「ハチドリ」という名前で呼ばれるくらいなら、鳥がベージョ(キス)をしているようにきらきらと飛んで回る「波」の方が、まだよかったが、その時は単純に勘違いしていたのでそう答えた。きっとブラジルのどこかに、「波」と呼ばれている女性がいるかもしれなくて、もしかしてそれは私のせいかもしれない。何しろ「キム」と「焦げ付いたガスコンロ」がセットでいつも頭上に浮かんで来て、上手く判断できないくらいになっていた。