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ブラジルの備忘録13
備忘録13
あの一件以来、ノルミーニャからは連絡がなかったので、心配になった。ある日彼女が弾いている店を訪ねた。誰も客がいない店で、小さな体で一生懸命に彼女は歌っていた。私は母を思い出した。子どもの頃に戦争を体験し、何もない時代に随分と我慢して過ごしてきた世代だ。だからこそ、譲れないものがある。それが母にとっては、子ども達であり、子どものないノルミーニャには音楽だったのだ。「わたしには音楽という子どもがいる」と言っていた気がする。
そんな時、ひょっこり例のパウロが現れた。それは最後のステージが終わりそうな真夜中。ノルミーニャの録音はグローボテレビの歌謡コンテストの締切には間に合わなかった。もし、パウロにはその技術がないという事にもっと早く気づいていれば、他のスタジオで録音して出せたものを。私は思わず、彼に、
「一体どういうつもり。こんな所にのこのこと来て」
と詰め寄った。ノルミーニャは私とパウロの間に割って入って来た。
「もういいんだよ。もういいの。」
店はもう閉まる時間だった。店の終わりを告げるお決まりのバックミュージックがかかった。スタンダードジャズ、”Dream“がかかっていた。ノルミーニャはその華奢な痩せたからだでリズムを取っていた。私はノルミーニャの手をとって、昔、母に教わったスローダンスを踊った。そして、組み合った小さい私の肩に頭をもたげるようにして、彼女が泣いていたようで、音楽が終わるまで、私はずーとステップを踏んでいた。