
ブラジルの備忘録 29
備忘録29
ミニーノデウスにある有名なピッツェリアに行くと、満席だった。先についていた友達が、
「ケイコ、こっち、こっち!」
と言って誘ってくれた。エリスのもとプロデューサー、通称、「パチネッチ」は中央の席にいて、とても話ができる状態でないことは、店に入る時からわかっていたが、どうせポルトアレグリを離れるんだし、それなら知り合いが一同に会するこの席でお別れを告げようという目論見があった。会場が満席だったので、おそらく自分は歌えまい。そこには地元で有名な歌手が沢山来席していた。
「ケイコ、あれがパチネッチで、あれがジェロニモ。見えるでしょ。白髪の紳士がパチネッチ。ジェロニモは背の高いモレーノの方。」
なるほど。私はステージ衣装を数着持っていても、普段着でおめかしをして出かけるような服がないため、服選びにいつも時間がかかってしまう。そうしてタクシーで到着したが、すでに満席だった。きっと早めについても満席は変わるまい。とにかく、友達が用意してくれた扉に近い方の席に座る。ブラジルではソロを取るのが難しい。ピンライトが当たる位置に立てる人は、限られている。ブラジルではコーラスの指揮をするのも本当に難しい。ブラジルでコーラスをやるのが大変なのは、みんながソリストになりたがるからだ。ブラジルでは雨が降ると生徒は来ないし、バスも時間通りではない。それでも指揮者は必ず時間通りに練習に行かなければならない。早い人は練習時間10分前からいるが、遅れてくる人は平気で30分遅れる。私は2006年から2016年までゴスペルコーラスの指揮をしていたが、指揮者が目立つと、それだけでコーラスのメンバーは志気を失うので、質素に勤めていた。この人たちは、ハーモニーも知らない。楽譜も読めない。でも彼らはいつも一生懸命だった。ユニゾンでしか歌えないのは、ブラジルに音楽教育がないからだ。人間は、音でない音を聞く聴力を持っていると私は信じている。当時は彼らはアマチュアで、私もアマチュアの指揮者だったけど、これだけ自分を忘れて、信じるもののために歌う人たちには、滅多に会えないのではないか。そして私は思い出す。星の王子様のセリフ、
「大切なものは目には見えない」
半ば遅刻した状態で、席のない会場に座り込んで、尚且つ、ソロで歌うなんて、ブラジルでは物を投げられてもおかしくはないのだ。そんないたたまれない気持でも、リオに行く前にどうしてもエリス・レジーナのプロデューサに会ってみたかった。