ずっと未来は行く先は見えないのか。
けいぺちーの。こんにちは。今回の記事は見えないから不確かなのか?についてと。どのくらいで見当が着く未来を想像するのか?形にわかるもので安心するのも可笑しいについて。緩く脱線しながら話します。
例えば情報は文字、映像、音声から伝わるもの。見えてから聞こえてから伝わる。受け取った私は今聞き取り今見て理解する。理解したら記憶する。そしたらそれを人と共有する。
見えてから見えなくなる。だったら運動の場合、走るから気持ちいいし走るから疲れるし走るから汗が出るし走るからお腹が空く。体が動いたら感情と生理現象が起こる。走る姿を見たら汗は見た人は欠かないし走る姿を見たら疲れない。確かに運動してる姿を見るのは何とも言えない感情になる。ここまで話して私が抱いた気持ちは、何も未来だけが見えないんじゃないんだな!てこと。見えないものは様々あってさ。人間に感情メーターが動画で備わっていないように感情メーターなる動画は漫画にならないかぎり共有出来ないんだよ。
つまり見えないものを軽視しない。見えてるものと比べない。見えてるものは壊れる姿も見ることになるんだよ。わかる?見えているものは欠ける。壊れたり欠けたりは見えないものもそうなんだよ。
つまり不確かさを当たり前に受け入れる。これに勝るのないな。
今の見解から。
と言うわけで、一回終わります。
では。また。 けいぺちーの