就活コンプレックスに立ち向かえ!元女優の履歴書づくり
これでようやく新たな一歩を踏み出すことができる。過去の仲間たちに別れの挨拶をし終えた私は、改めて人生の第2部をはじめる決意を固めた。
だがしかし、人生の第2部とは言ってはみたものの、何からはじめたらいいのかサッパリ分からない。もちろん、仕事に関しては休業前にやっていたことを再開すればスムーズに社会復帰できるのだけど、それじゃあね。
第1部とはさほど変わらないワケで。
そんな延長線上の人生を生きるために私は"0"の自分に還ったんじゃない。
人生の第2部をはじめるなら、やっぱり、以前の自分とは180度違うことをやってみたい、と思った。そんな"時"のことだった。
私はふと、宣伝会議コピーライター養成講座に通っていたときに3人の講師の先生が口にしていた"とある英語の言葉"を思いだした。
創造的破壊。
直訳すると"こう"なるらしい。あまり聞きなれない、面白い言葉だと思った。
早速、iPhoneを取り出して調べてみる。すると、創造的破壊という言葉を理念として掲げている一つの企業のHPにたどり着いた。
心臓が、ドクドクする。
私は、そのHPを端から端まで読み込んでいくうちに、なぜかこの会社の採用試験を受けなければ!という気持ちになった。
不思議だった。
絶対、会社員にだけはならないしなれないと思っていたのに。一体全体、私に何が起こったというのだろう?
本当に、信じられない心境の変化だ。
私は、ずーーーっと会社員経験が"0"であることがコンプレックスだった。
大学2年生のときに芸能事務所に所属して、そのまま流れるようにフリーランスになったから、いわゆる一般的な社会人経験というものがない。
もちろん、就活と呼ばれているものも。
ちょうど、大学の同級生たちが一斉に就職活動をはじめた頃にデビューして大失敗したからね。あまりにもその挫折がショックすぎて、正直、周りがどういう動きをしていたかほとんど記憶にもない。
なんとなく、まだ学生という肩書きに甘えながら将来のことを先送りにし、卒業と同時に「女優という名のフリーター」として暗黒時代に突入した。
その頃はやっぱり、就職したてのキラキラとした同級生と自分の現状とを比較して結構キツかったな…。
特に、社会的に見て「勝ち組」と言われている大手企業に就職した人たちから「今何してるの?」と聞かれるがイヤだった。
なのに、あるときそんな私の焦りや不安に拍車をかけるように某大手不動産会社と自動車会社に就職した2人の友人知人が「ちゃんと税金とか払ってる?」「ニートとなんでしょ?」と言って飲み会の席でからかってきた。
正直、殺意に近い感情を抱いた。
目の前にある小皿をブチまけて、粉々になった破片で顔がズタズタになればいいのに。
悔しい。
何も言い返せないということが。どうして、ニートじゃねぇし!夢追いフリーターだし!って言ってやることができなかったのだろう。
いついかなるときも、売れていないという現実は私の口を深く閉ざし、沈黙することだけが上手くなっていった。
ホント、同窓会なんて地獄でしかないよ。
それからというもの、私は心のどこかで一般企業に就職した同級生のことを差別し、リクルートのキャッチコピーのような闘争心を燃やすようになっていった。
芸能界をやめるときもそうだ。
何がなんでもコイツらよりいい人生を歩んでやる!絶対に社会の歯車の一つになんかならない。名前で生きていくんだ!と意地になり、一般企業に就職するという選択肢を検討する間もなく捨てた。
だけど、そうやって会社に就職した人たちのことを敵対視し、避けようとすればするほど自分の中に潜んでいた「就活コンプレックス」は大きくなっていく。
文化人になったことは正解だったのか?
次第に、そんな自分の中にある揺れる気持ちを打ち消すために「安定」を選んでいる人たちを見下したり、バカにしたような発言をするようにもなっていった。
どうせ、ハムスターみたいに毎日同じところをグルグル走っているだけなんでしょ、と。
そうやって、誰かのことを「下」に置くことで自分のネガティブなプライドを必死に守ろうとしていたのだ。このときの私にあったのは自信ではなく過信。とにかく、特別な自分になろうと藻掻いていた。
しかし、文化人としてのキャリアを積んでいくうちに形勢が逆転。出版権を獲得した頃からは、昔、私のことをニートだなんだとバカにしていたヤツらからでさえ尊敬の眼差しを向けられるようになり、私は、今までコツコツと溜めにためていた「恨み」を一気に吐き出すようになっていった。
ステージが変わる。
という言葉の本質を間違って捉え、芸能界時代に自分のことをバカにしていた連中に向かって「もう、ステージが違うから(話しかけないでくれる?)」といった態度を取り、あからさまに無視をしたこともある。
神様…
だからまた、売れないっていうバチが当たったんですよね?ホント、当時の私はどうかしている。だけど、そうなってしまうほどに私の中にあった「就活コンプレックス」というものは大きな「闇」となっていたのだ。
But、
今転機が訪れようとしている。
就職なんてするものか!と跳ねのけてきた私が企業の中途採用試験にチャレンジしようとしているのだから!
ということで、Let's try!
えーっと。なになに、この採用ページを読む限りでは…とりあえず「履歴書」と「職務経歴書」を送るだけでいいのか。
なぁんだ!
簡単じゃん!
年齢制限もないみたいだし。とは思ったが、一瞬だけ躊躇してしまう自分がいた。
いい年をしてジタバタしてる痛いヤツって思われるのではないか?しかも、それで落ちたりなんかしたらシャレにならないくらい恥ずかしいし。という気持ちが足に絡みついて、どんどんとやる気が奪われて言った。
が、そんなバンジージャンプから飛び降りる寸前の私のところに女優の松本まりかさんのインタビュー記事が舞い込んできて、その中に書いてあった"一行"にポンと背中を押された。
そうか!やっぱり、年齢なんて関係ないんだな。いくつになっても、新人として謙虚な気持ちで飛び込めばいい。
挑戦に、年齢制限などないのだから!
こうして私は、『愛の不時着』のユン・セリのようにパラグライダーに乗って清水の舞台から飛び降りてみることにした。
人生初の経験。
まずは、履歴書と職務経歴書づくりからはじめようじゃないか!いざ、出陣!
と、心の中で声高らかに叫んだ私は、白紙のA4用紙に書いて書いて書きまくっていくことに…したのだが…これは、どうすればいいんでしょう?
まず、最初の質問なんですけど、芸能界時代の経歴ってどうやって書けばいいの?だ、誰か…芸能界から一般企業に転職した人はいませんかぁぁ?
いませーん!
実際にはいるかもsいれないけど、そういった人がどうやって就職したのかとか、履歴書の書き方とか、そういった情報はありませーん。
そ、そうですよね…。
私は、仕方なく経歴の冒頭に「〇〇事務所に所属」と書いた。その後は、文化人であったことや、株式会社を設立していたことなども書き連ねた。
おお!
意外と書くことがあるじゃないか!
そうなんだよね。売れていなかったという恥ずかしさから闇に葬っていたけどさ、事務所に所属して芸能活動をしていたってことも立派な経歴の一つなんだよね。
今まではさ、売れていなければ経歴にならないんじゃないか、女優をやっていたなんて言えないんじゃないか、履歴書に書けること何もないんじゃないかって勘違いをして一般企業への転職を諦めていたけど…。
そんなワケがあるかぁぁ!
あーあ。
もっと、早い段階で気づいていたらよかったな…。そうしたら違う人生もあったかもしれない…なーんて、『東京タラレバ娘』をやっている暇はないよー!次々!
次は、いよいよ職務経歴書です。
はい。これも履歴書を書くノリと同じで芸能界にいたことを恥じずに堂々と書いていきましょうねぇ~って思っていたけど…こ、これは…
ねぇ、誰か教えてくれませんか?
女優の職務って…何になるんでしょう?それも、売れていなかった女優の職務です。
うーむ。
台詞を覚えるとか、通行人として主演俳優の側を通り過ぎるとか、演技のレッスンに通うとか、美容について学ぶとか。そういうこと!?
ダダーン!
ど、どうしよう…。一応、ネットで職務経歴書について調べてはみたけど余計にワケが分からなくなっちゃったんですけどォー。
答えが…見つからない…。
元女優の職務経歴だけじゃないよ!野菜家はどうなる?レシピ開発とか講演とかってこと?
ちなみに…
や、野心家は…どうなる?
いーやー。そもそも、企業に送る職務経歴書に「野心家」とか書いても大丈夫なのだろうか?もう、それを送った時点で論外じゃない?
やばいヤツって思われるかも…。
ああ!やっぱり、肩書きジプシーとして生きてきた自分には何もない。
挑戦したくても、
挑戦できないことがある。
元女優の私は、スタートラインにすら立つことができないんだな…。だから、芸能界に入りたいっていうと親はみんな総出で反対するんだ。
その反対、結構正しいかもね…。
私は、親の反対を押し切って選んできた自分自身の人生を振り返りながら泣いた。
冒頭に、職務経歴書という5文字だけを書いた真っ白なWordの画面を目の前にして、泣いて泣いて泣いて泣きじゃくった。
3分が経過。
カラダから塩分が抜け切ったような気がした私はCUP NOODLEの味噌味を食べていた。
腹が減っては戦はできぬ。
って、その通りだよね。どれだけ落ち込んでいても食べないと。元気じゃないと、考え方もどんどんネガティブになるしね!私は、そうやって自分を励ましながら最後の1本をつるつると飲み込んだ。
そうしたら、これまた不思議なことに頭の中で「誰か」が話しかけてきた。
これは、事務所に所属していたときに何度も聞いた社長の言葉だった。が、居直るってどういう意味なんだっけ?結局、当時はこの言葉を聞きっぱなしにして放っていたままだった。
とりあえず、辞書を引いてはみたものの…あんまりよく意味が分からないな…。
まぁ、①は違うとして、②のいずまいを正すとかすわり直すってどういうことだろう?
開き直る的な感じ…?
あ、そうか!
社長が言うところの「居直る」というのは、開き直って自分で勝負しろ!元の自分の姿勢に戻れ!ってことなのかもしれない。だとすると、今回の場合はどうすればいいんだろう?
あ、そうか!
私はバカだ。会社員経験が"0"のクセに、どうして何年も会社に勤めている人たちと同じような職務経歴書を書こうとしていたんだろう。
違う。
違うよ。
私が書くべきものは職務経歴書ではない。職務経歴なんてなくて当然。自分には逆立ちしても"ない"ものを書こうとしてどうする?
私は、私に"ある"ものを書けばいい。
それは、
プロフィールだ!
そう、私は芸能界を旅立ったあの日から自分のプロフィールをつぎ足しつぎ足し、肩書きを変えて自分自身に「創造的破壊」をもたらすたびに書き直してきたじゃないか。
最初はたった3行しかなかったけど、経験が増えていくたびに書くことが増えて、ポジティブなこともネガティブなことも全部数値化しながらここまで這い上がってきた。
これが、自分なんだ。
書こう。
職務経歴ではなく、肩書き遍歴を。
私は、私のままで正々堂々とこの採用試験を受けてみて、それがダメなら仕方ない。
ただ、合わなかったということ。
よし!やってやろうじゃないか!と、居直った私は、数年ぶりに自分のプロフィールを書きはじめた。「女優、中村慧子」「野菜ソムリエ、中村慧子」「写真家、中村慧子」「野菜家、中村慧子」「野心家、中村慧子」と時系列ででまとめながらカキカキカキカキ。
最後、今このプロフィールを書いている現時点では何もやっていない自分のことはどうやって書いたらいいんだろう?
と、一瞬だけ困ったが、何もないのであれば何もないままでいいか!と思い、ただ、「中村慧子」とだけ書いて提出することにした。
OK!
これで送信!
絶対に、絶対に、絶対に合格してやるからなぁぁ!マジで未知との遭遇。これからは、今までとは180度違う新しい人生を生きていこう!
と、思ったのもつかの間。
私は、書類選考で墜落した。
不時着ではなかったから、私の目の前にリ・ジョンヒョクが現れることはない。
ただ、一人で呆然と不採用メールの文面を眺めることしかできなかった。
なんてこったい。
面接の準備もして、新しいシャツも買って、個人事業主の廃業届まで提出して本気で挑んでいたというのに…落ちた、落ちてしまった。
でも、落ち込むことはなかった。
落ち込むというよりかは、せめて面接くらいまでは進んで就活っぽいものを経験したかったなぁというガッカリ感と、門前払いを喰らってしまった衝撃とが強く心に押し寄せてきた。が、それ以上にもまして「達成感」のほうが大きかった。
この感覚をなんて表現したらいいか分からないんだけど、自分の中で1才、2才、3才から現在までの自分が一斉に拍手喝采の大騒ぎをしているような感じ。全員、サンシャイン池崎さんのようにイェエエエエエエエイ!!と叫んでいる。
そして、口々に"こう"言うのだ。
頑張ったね。
私は、自分たちからかけられたその言葉を噛みしめながら、そうか、私は頑張ったんだな、と思った。合格することもできなかったし、面接にすら進ことができなかったけど…
私は、たしかに頑張ったんだ。
元売れない女優であることを卑下することもなく、年齢を言い訳にすることもなく、正々堂々と真っ向勝負に100%本気で「就活コンプレックス」に立ち向かったのだから。
私は、コンプレックスに克つことができた。
と、同時に、就職活動をして企業から見事内定をもらったすべての人たちに対して深い深い深りリスペクトの気持ちが芽生えた。
本当に、すごいと思う。
まだ、自分自身のことを100%理解し切っていないであろう大学生の頃に自分と向き合って試験を受けるなんて…!
失敗をして得られるのは、
いつだって尊敬の念だな、と思う。
いつも、挑戦してみてはじめて実感するのだ。その道で成功している人たちの偉大さを。
そして、
気持ちを想像できるようにもなる。
私は、女優という名のフリーターであることを就職したての連中にバカにされたことをずーーーっと根に持っていたけど、あれは不安の裏返しだったのかもしれない。就職=安定とか、正しい道とは限らないもんね。
もしかしたら、
彼らも揺れていたのかもしれない。
誰にも相談することも弱音を吐くこともなく、芸能界という道を迷いなく進んでいる私の姿を見て自分の下した選択に不安を覚え、私をバカにして否定することでその不安を払拭しようとしていたのかもしれないな…。
いや、それもまた違うか。
バカにされたと思ったのは、私の心がそう捉えたからであって、彼らの意思がどうであったかなんて関係ない。当時、他の誰よりも「売れていない」ということをバカにしてのは自分だったし、会社員経験が"0"であることを恥じていたのも自分自身だった。
でもさ、実際にやってみて思ったよね。
ああ、私に会社員はムリだなぁ、合わないなぁって。仮に新卒で入社していても、たぶん、1週間くらいで辞めていた可能性がある。
本当は、今回も心の片隅ではひどくほっとしていたんだよね。落ちてよかった。会社に入ることにならなくてよかったって。それは顕在的というよりは無意識の領域からやってきている嫌だぁぁ!という叫び。
私は、これでいいんだ。
さぁ、本来進むべき道に進もう!私には、私の役割があるのだから!きっと、この採用試験は自分に大事なことに気づかせるための通過儀礼だったんだな。
ホント、T社には感謝しかないよね!
私は、天に向かって「ありがとうございます!」とお礼を言い、スッキリと爽やかな気持ちで「新たな一歩」を踏み出すことになった。
というのは、
いつも通りの真っ黒なウソです。
実際は、こうだった。
人一倍プライドの高い私は、なんとかしてこの会社に合格しなくてよかった!と思えるネタを探したくて夜通しT社の悪口が書き込まれているサイトの掲示板を読みまくった。
うんうん。
そうだよね!
あー、マジで受からなくてよかったわー。
それにしても、今まで悪口を書き込むヤツなんてサイテーと思っていたけど、こういう心境のときには「癒し」の効果があるんだな…。
私はふと、遥か昔に担当編集者の悪口を一緒に言おうぜ!と勧誘してきた売れていない本の先輩著者のことを思いだした。
おそらく、あれも分かち合うことで傷を癒したかったんだろうな。とはいえ、リアルで悪口合戦をするのは今後もゴメンだな!悪口は、こうやってネットで見るに限るのだ!バイバーイ!
翌朝。
私は、悪口の読み過ぎで若干二日酔いのようなダルさを感じた。が、窓を開けると爽やかな風。
空には、雲が一つもない「晴れ」だった。