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あの大女優から学んだ『表現力のトリセツ』


あれは、私が『医龍』というドラマでデビューを果たす前のこと。CXの単発ドラマでワンカットだけ出演させてもらった私はあの大女優と対面した。

綺麗。

なんてもんじゃない。目の前に颯爽と現れた大女優は、まるで陶器できた人形のように白くてなめらかな肌をしていてライトが当たっていなくても光り輝いていた。オーラ、と呼ばれているものが存在していることを知ったのもこのときがはじめてだった。

当然、何もかもが初体験の私はガクブル以上の状態でカメリハの段階から台詞をカミカミ。中途半端なロン毛の助監督から何度も何度も怒鳴られていた。休憩中には真っ青になったADさんが駆け寄ってきて「呼吸…してもいいんだよ」となだめられたけど、私は酸欠状態から脱出することなく本番。


カメラが、回った…!


最初の2行は無事に言えた!!と安心したのもつかの間、大女優のド迫力なセリフ回しにタジタジタジタジ。次の一言を…

噛んでしまったぁぁ!


終わった。チラッとカメラのほうに目をやると半分ロン毛の助監督がゆでだこのように怒っているのが見える。最悪だ…怒られる…どうしよう…。

と、思った"時"だった。

突然、先生と生徒という役柄で対峙していた大女優が「ゴメン!止めてくれる?私、間違えちゃった!」と言って周りのスタッフに謝りはじめた。

私は、自分のNGのせいでカメラが止まると覚悟していたから一瞬何が起こったのか理解できずにパチクリ。呆然としていると、そんな私の様子を見かねてかスッと大女優が私の側に近寄ってきて「ごめんね」と申し訳なさそうに微笑んでくれた。が、私はその微笑みを見た瞬間にすべてを察知して申し訳なさと恥ずかしさと感謝の気持ちでいっぱいになった。

なぜなら、本当に謝るべきなのは私だったから。私が台詞を噛んで、失敗して、本来であれば私のせいでカメラが止まってしまって怒られてみんなに謝るはずだった。けど…目の前の大女優が私のミスをかばってくれた。

その大女優は失敗なんてしていない。失敗などしない人なのに!


なんて…漢気のある、なんてカッコイイ人なんだろう。もちろん、これは私個人をかばうためではなく現場をスムーズに動かすための座長としての判断というか行動だったんだと思う。

とはいえ、どれほど売れていても本番を回すカメラを止めるのは容易いことではなく主演クラスの俳優でも勇気がいるという。それに、わざわざ自分を汚さなくても私のミスを放っておけさえすれば勝手にNGがかかってこのシーンは撮り直しになるから作品としては何の問題もない。なのに…

それでも、目の前で凛と佇んでいる大女優はあえて自分がミスをしたという「表現」をもって場を収めたのだ。他に、自衛に走りながら現場を守る方法などいくらでもあったのに…。


それからだ。


私は、いつか必ずこの大女優のように…こんな風に漢気のある人になりたいと思うようになっていた。権力でも影響力でもなく、それらを遥かにしのぐ「表現力」という名の大きなチカラを正しく扱える人になりたいと。

そういえば、某美術館の学芸員の人がこんなことを言っていたっけ。

表現力とは、自分よりも遥かに大きい権力のようなものに立ち向かっていくときに使うか、もしくは自分より弱き者を守るために使うか。


私は…どちらだろう?

今までは権力者を合法で殺すため、影響力を獲得するために表現力を使おうとしていたから後者だったかもしれない。


でも、これからは…


あの大女優のように、自分よりも弱い立場にいる人というより、自分の後ろにいるのであろう人たちのために自分自身の表現力を使っていこう。

そうしよう。

手はじめとして、無意識に数字を集めるために考えたタイトル『2022年までの革命学』を一旦外し、ただの、私個人が自分自身に革命を起こすまでの物語を綴っていこう。


うん。今の自分にはこれくらいのラフさが似合いだな。肩のチカラを抜いて、自分を信じて、ただ物語を紡ぐことだけに集中しよう。

もう、数字を追う必要はない。


影響力は、いらないんだ。



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中村慧子|Keiko NAKAMURA
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