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俯瞰で見ると言う事

今ここの、この瞬間の自分をありのままに捉えてはそこにジャッジやフィルターがあったと気がづく事はとても有効だ:


今この瞬間の自分をありのままに捉えると言う事は、例えば今、自分は階段から滑ってお尻の骨が折れているとして(実際に今折れているわけなのだけどw)

お尻の骨が折れてて今現在非常に痛いんだ、という現実と同時に、さらに俯瞰で捉えたならば、『階段から滑って転んでお尻の骨を折って日常生活もままならなくて誰か助けてくれ、と思っているダサい人だな』と言う風にやや外側から他人事のように切り取ってみる。

そこにひとまずジャッジはいらない☆


ただただ、そう言うジブンを眺めて、しばらく眺めてみて、ほっこりちょっとこの人オモシロイ人だな、くらいにまるで他人事のように温かい眼差しになるまで眺める。このお尻の骨の例えではそう思えるのにそんなに時間はかからないんだけどw


他にも例えば今、太っていてそんな自分に嫌気がさしている時も、お金が無く落ち込んでいる時にも、人間関係に悩んでいる時にも応用できる。

今ジブン、どうもこの職場でこの人との関係がうまくいっていないな…

と言う時にも、そんなことじゃだめだと自分を否定したりジャッジして落ち込んだり悩んだりしてしまっていることさえも、そこに名前とかタイトルをつけるようにして切り取っちまう☆

今ジブン、この職場でこの人との関係がうまくいってなくて落ち込んでるぞ。と切り取ってみる。


恋人にフラれてマジで悲しくてやるせなくて自分なんてどうにかなってしまえ、と思っている時も、そう思って自分をジャッジしまくってダメ出ししまくっている自分すらをも そのまま切り取って眺めてみる。

自分がダメな奴だとジャッジしてもいいし、あいつがどうにかならんのかと思い悩んでいる自分、と言う風に切り取ってもいい。

なかなかそうやってうまくは眺められない自分。と言うものでもいい◎


とにかく、今この瞬間の自分をジャッジしまくりながらでもいいから、それ自体を丸ごと一つ高い視点で捉えてみてタイトルなんかをつけてみる。

そんで眺めてみる。


なんとかしようとするのではなく、ただただそのままの自分と共存している。


ただただ見つめることが出来ない時にもただ見つめることが出来ない自分を認めてみる。

自分を否定している時には否定しまくっている自分をそのまま感じてあげて、まるで他人様のように、今この目の前の現実を生きている自分に対してどう感じ始めるのか?


冷静な自分が、ひょっこり出てきて、よしよししてあげたくなったり、なかなかジブン悪くないぞ、意外と良かったぞ、頑張ってたのに可哀想にね、と慰めや寄り添いたくなってくればかなり自分自身へ愛の眼差しを向けられているだろうと思う。


相手や世界や政治を憎んでいる自分すらも、なかなかに愛おしいやっちゃで♪と思えるようになるまで俯瞰を続けて

極めて冷静な自分が出てきて、そのままの自分を見られるようになるまで、ただただこの瞬間の自分にジャッジをしたりしなかったりしたまま とにかくどう感じるのか、どんな思いが自分に対して湧き出てくるのか、眺めながら共にある。


そんなに簡単に自分のことを見られない、まして愛せない、と今現在思って否定しているならばそこから始めるのがいい◎どんな自分に対してすらも、そのまま切り取って俯瞰で見つめる。


ひたすらに今この瞬間の自分を愛することから始める。


それはそれは、自分を受け入れる、と言うこと、問題を早く解決すること、解決したかった問題はそこではなかったと気づくと言う作業がかなり早く展開するってことだと思う

自分が自分を否定していたか、何かのせいにして不幸になっていた気がしていたのか、と言うことにも気がつける。

自分が何にジャッジをしてしまっているのか、

なんで苦しんでしまっていたのか、

自分の中に否定やフィルターがあって、

外側の問題に見えるけれど、

自分の中の方にあったんだと、俯瞰で捉えられるようになると言うこと。


自分の中にあるジャッジや否定に気付いては、その都度 手放していくと言うことが高い視点で生きる、それはすなわち自分を愛する、と言うことを可能にしてゆくのではないかなと思う◎


自分の目の前の現実をどう捉えているのか?

は、セルフイメージや自己設定からきている


と、思うんですね、















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