ニューヨークの最近の地下鉄事情
仕事に関する探索の為に朝から夕方まで1日中地下鉄を乗り継いでニューヨーク市内を歩き回った。季節にしてはそんなに寒い日ではなかったが、メモ用紙に書いているうちに寒さでボールペンがつかなくなってしまった。指も悴んできた。
この感覚は久しぶりだな。以前は、よく歩いて探索をしたものだ。雪の中を歩いている内に靴が冷えて足が悴んでしまったり、ボールペンを握る指が寒さで感覚がなくなってしまったり、夏の猛暑の中をスーツを着てハイヒールを履いてアスファルトの道を何時間も休みなく動き回ったり、靴擦れで足に豆ができ、時にそれが破れて血が出たりしてもよく歩き回った。そしてそこには常に地下鉄での移動が伴った。
私の商業不動産の仕事は、最近ではニューヨーク以外の仕事も多くなったが、それまではマンハッタン内のオフィススペースや店舗、ビルの物件が多くそのほとんどが地下鉄を乗り継ぎ歩いて回れた。お客様にも地下鉄で一緒に移動していただく。だから1日で4件か5件の物件を案内するのは実に大変なのだ。最近ではあと何ラインはあと何分で来るという電子掲示板が駅にあるので助かるが何年か前まではAPPの情報もなくどんなに時間の余裕をみてスケジュールを作成しても予期しないことが頻繁に起きて、ニューヨークの地下鉄を使ってショウイングをするのは疲労困憊したものだった。
けれども、地下鉄に乗っていて身の危険を感じたことはなかった。
朝一番にアップステートにいる主人から「おはよう」の電話があった時に私は彼に言った。「今日は1日中地下鉄に乗って外に出るので、もし明日の朝になっても私から電話がなかったら何か起きたと思ってちょうだい。愛してるわよ。」
大袈裟に思われるかもしれないが、私は大真面目でそう言った。
日本のクライエントに報告書を提出することになっているが、ただ単に地下鉄に乗りたくないという理由から先延ばしにしてきた。パンデミックが始まってから、アジア人に対する攻撃が多くなった。後ろから突き倒されてプラットファームに落ちて命を落としたり、背中を刃物で刺されたり、殴られたり蹴られたりという悍ましい事件をニュースで聞くたびに人ごとだとは思えない。いつ私が犠牲者になってもおかしくはない。「老齢のアジア人女性が地下鉄で背後から刃物で刺されて命を落とす」なんてニュースになっても悲しいかな、もう特別な事件ではないのである。
私は意を決して家を出た。服装は、ジムに出かける時のタイツと走り慣れたスニーカーを履いた。追いかけられたらできるだけ身軽に走れる服装を選んだ。ペッパースプレーをコートのポケットに入れた。ハンドバッグの中ではなく、コートのポケットに入れておく方がいざとなった時に出しやすいのを過去の経験から学んだ。
数年前にさかのぼるが、昼間の地下鉄に乗った時のこと、ホームレスの男が私の車両に乗り込んできた。車両には半分ぐらいの乗客が乗っていた。そのホームレスは、ぶつぶつ独り言を言いながら車両を行ったり来たりしていたが、急に私の前で立ち止まって何か話しかけて来た。次に彼は無視して俯いている私の顔を覗き込んできた。彼の臭い体臭と赤ちゃけた貧相な顔がすぐそこにあった。私は、ハンドバックにペッパースプレーをもっていたのだが、ジッパーをあけてそれをゴソゴソ取り出すにはタイミングが遅すぎた。不審な行動を取ればさらに彼を刺激することになる。「もうダメか」と諦めた時に、「Leave her alone !」(彼女をほっといてやれ!」という男の声が聞こえた。ホームレスの男がその声の方を振り向き、たじろぐ気配を感じた。それと同時に地下鉄が駅に止まりドアが開いたのをチャンスに、私は一目散に外に飛び出した。
それから数ヶ月は、地下鉄に乗るのが怖くて怖くてたまらなかった。
その時の怖さが今また蘇ってきている。
地下鉄に乗る時には、ちょっとした注意が必要だ。
プラットフォームで地下鉄を待つ時は、できたら駅員のいるブースから見えるところが良い。それが無理なら、壁を背中にして立つ。壁がなかったら、柱のところで待つ。自分の周りにどんな人がいるか常に観察する。これは通りを歩いている時でも同じだが、前から歩いてくる人に注意を払いながら、たまに後ろを振り返って誰か近くにいないか見る。地下鉄がプラットホームに入ってきてまだ止まらないうちから走っている車両に乗っている乗客の顔を素早く分別し、安全だと思われる車両に乗り込むと同時に素早く顔ぶれを識別する。
大声で話しているティーンエイジャーのグループには近寄らない。今時のティーンエイジャーは精神異常者と同じくらいに危険だ。(勿論皆がそうではないのだが)明らかに見ただけでホームレスとか精神異常者は防ぎようがあるが、一見しただけでは判断できない場合は経験と動物的な感で判断するしかない。最近の地下鉄の犯罪の怖いところは時間と場所を選ばない。真っ昼間から通勤客や旅行客が多い地下鉄の駅でも犯罪が起こるようになった。
襲われても、誰かが助けてくれるのは期待しない方が良い。
この日は、警官が駅で何人かのグループになってパトロールをしているのを見かけたが、地下鉄の車両の中には一人の警官の姿もなかった。パンデミックで多くの警察官がやめていった。警察官不足が今のニューヨークの犯罪率の多さに関連しているとも言える。
今日乗車した地下鉄に、何人かの見るからにホームレスらしき人が乗って来た。乗客の誰もが気にすることもなくそのまま携帯に見入っていたり、友人同士で話しを続けている。誰も注意を払わないし、お金を乞われても無視する。
ヒスパニック系のバンドグループが入って来て、陽気にギターを引きながら歌を歌い出した。私の斜め横に座っていた乗客の男性は、楽しそうに彼らと一緒に歌い出す始末だ。次の駅でバンドが降りて行く前には何人かの乗客が財布を取り出して何ドルかずつあげていた。
次の駅でメキシコ人の母親が10歳ぐらいの女の子を連れてチョコレートを売りに車両に入って来た。スパニッシュで話しているので、正確には何を話しているかわからないが、チョコレートを売っているので物乞いという言葉は相応しくないかもしれない。まるでそこに存在さえしないかのように誰もこの親娘を見ることもなく、チョコレートを買う人は一人もいなかった。
私は考えてしまった。
単に物を売ったり、お金をせびるのでは誰の注意も引かない。エンターテインメント性があって楽しい気分にさせてくれる方にお金の対象価値を見出す。それが今日の食べ物に困っている人々にさえであっても、私たちはお金を支払う対象価値を考えてしまっている。誰も嫌なものは見たくないし、楽しい思いをさせてくれるものにお金を払いたいのだ。醜い現実がそこにある。
私はその日は誰にもお金をあげなかった。一つのはっきりした理由は、財布の中には20ドル札しか持ち合わせていなかったことと、毎日地下鉄に乗るたびにお金を差し出していたら一体1日で何十ドル払うことになるだろうと考えてしまう現実的な計算高さからくるものだ。
地下鉄に乗るのは、危険で怖い。
地下鉄に乗ると人と目を合わせないようにする。
地下鉄に乗っていると気分がやるせなくなってくる。
地下鉄に乗ると何も助けられない自分が情けなくなってくる。
地下鉄に乗ると醜い現実社会と対面する。
それが今のニューヨークで地下鉄に乗る時に感じる私の本音だ。
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