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安心して神様にお任せして生きていけば良いだけのこと

私は、どの宗教にも属していないし、宗教的な神を信じてはいない。
キリスト教でもイスラム教でもどんな宗教でも信仰心のあつい人をみると、”ここまで信じるものがあるとは、見事だな” と尊敬はするが、宗教の数だけ神がいるとなると混乱をきたすし、自分の信じる神だけが正しいと主張すれば喧嘩どころか戦争さえおこる。
神はいると思う。私の信じる神は、宇宙に存在する唯一の神で現実に証明はできないが、何かが存在するのではないかと信じている。人によっては、守護霊と呼ぶかもしれないし、ガーディアン エンジェルというかも知れない。

私は、以前から何かにつけて周りの人たちに「あなたは本当に運の良い人ね」と言われてきた。彼らは、私の身に起こるラッキーな現象をみてそう言っていたのだが、確かに「私は何かに守られている」という感覚が小さい頃からいつもあったように思う。まず私は、この歳まで事故や事件や怪我や病気とは無縁で生きてこられた。ほとんど危険な状況下に晒されるということもなかった。これ自体がすごい幸運な事だ。一つ間違えれば大惨事に繋がる交通事故から一瞬で免れたり、地下鉄の中でホームレスから頭を殴られそうになった時も、あわやのときに救われたりしてきた。

随分前になるが、信頼する友人から紹介されて鑑定して頂いた算命学の鑑定士が私の宿命をみて、「あなたは守護霊に守られていますね」と言った。それを聞いても特別な驚きはなかった。なぜならそれを”感じいていたから”。私には、将来を予測する才能も、霊を見たり話したりする能力も皆無である。人生の中で取るべき選択も随分迷ってきた。「これだ!」と100%の自信をもって決断することはなかったけれど、明らかに嫌なことだけは、はっきりと違和感を感じる事はできた。それは、特に人に関して感じる事が多い。どんなに美形でも知名度があっても、高価そうな服を着ていても、その人の匂いや仕草や、顔の表情や皮膚から醸し出す負のエレルギーが私に襲いかかり私の皮膚がムズムズと反応するのである。「この人には気をつけろ! 近づくな」と私の頭の中でアラームが鳴り響く。家の購入をするときでも、そうだった。外から見ただけなのに、「ここじゃない。これじゃない。」とすぐに不快感を感じた家もあった。案内してくれた不動産のエイジェントには申し訳なかったが家の中に足を踏み込まなかった事もある。私の場合、好感は時として的外れに終わるが、”違和感”はまず外れた事がない。人でも、仕事選びでも、この違和感を無視して進めていると、あとでやはりうまく行かなくなるのである。それは、私の守護霊が「今はそのタイミングではないよ。その道ではないよ。」と軌道修正をして下さっているお陰だと思っている。

近頃の私は、ほとんどを山の中の家でまったり、ゆったり、のんびりとまるで世の中の時間の流れがスローになったような環境で暮らしていている。パンデミック前は、鎧を着て戦場にでも行くように気合を入れて眉間に皺を寄せて職場に行っていたものだ。行きすがりの知らない通行人からも何回か「Smile!」(笑って!)と言われたこともあった。よほど怖い顔をして歩いていたのだろう。パンデミックでニューヨーク市がロックダウンを宣言した時に、真っ先に私が思ったことは、
「これで天下晴れて、オフィスに行かなくても良いんだ!だって政府が家に居ろ、働きに出るなって言っているんだもの。」と勝手に都合の良いように解釈して、オフィスに行かなくても良いことに安堵をした。何年もかけて頑張って努力してきたプロジェクトがパンデミックのおかげで中止に追い込まれた時でも、喪失感は否定できなかったが「ああ、そういうことなのね。これは、実らないようになっていたのだ。」となぜか納得がいってしまった。これは、私の諦めの良い性格もあるのだろうが。

宗教を信仰していなくても現在の私の心は穏やかである。勿論不安にかられたり、他人に対してムカっとくることもあるが、毎日神様に感謝して過ごしている。私は、これからもそんなに人の道からはみ出した生き方はしないだろうし、大きな不幸が訪れることもないだろうと確信している。神様か守護霊かガーディアンエンジェルかわからないが、何かによって守られているのを知っているからだ。私が間違った道を歩き始めたり、危険な環境に置かれたりしたら、メッセージがくるだろうし、それでもエゴで我が道を進もうとしたら強硬に軌道修正をして下さると信じている。私はただ安心して、お任せして生きていけば良いだけのことだ。


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