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【エッセイ】氾濫

 下手(しもて)から車椅子で登場したその人の姿に、動揺がなかったといえば嘘になる。その人は立ち上がり、ピアノ前で微笑みながらゆっくりお辞儀をした後、「6月から車椅子を使っています」とおっしゃった。
 緊急事態宣言も解除となった10月の日曜日、長野県の小海町、湖のほとりに建つヤルヴィホールへ向かったのは、舘野泉さんのリサイタルを聴くためである。柿落とし以来毎年、舘野さんはここでピアノリサイタルを開催してきた。20年ほど前に御病気をされた時、1年だけお休みされたが、翌年には復活。「ピアノは弾けないんですよ」とおっしゃった舘野さんに「お話だけで良いので、いらして下さい」とラブコールを送ったのは小海町だった。そして病後リハビリ中の舘野さんは、左手だけでこの時、演奏した。
 『左手のピアニスト』の誕生だった。
 東京でも、ほぼ同じプログラムでリサイタルは開催されるが、ヨーロッパの雰囲気のある、このホールが好きで通っている。
 プログラム1部の最後は『静寂の渦』という、舘野さん自らが「静寂」をテーマに、作曲家に委嘱されて出来た曲だった。2部の最後は、指のコンディションのために、平野浩一郎さんの『海の沈黙』という曲に変更になったため、期せずして、この日のテーマは「静寂」となった。
 「終戦直後は何もなかった」と舘野さんは話された。音楽を聴きたければ友人の家へ行き、ラジオを聴かせてもらったそうだ。そこに流れてきたシベリウスの静謐さに感動したのだと。「僕は70年の間、あの静謐さに憧れ続けて来たのではないか」と話された後、ゆったりと最後の曲を弾き始めた。

 国民的詩人、谷川俊太郎さんの、最新刊は『虚空へ』。できるだけ少ない言葉で、暗がりの中で螢火のように点滅する詩を書きたい、と言われている。

『氾濫』と思った。音が、言葉が、氾濫している。
 もっとシンプルで削ぎ落ちたもの、そして意識の深淵にささるものを、老練の芸術家たちは求めている。音や言葉に、真摯に命懸けで向き合った二人が、空(くう)に向かって歩いている。

 さて、世俗ド真ん中の、私はどうか。
 この氾濫した脂肪の削ぎ落としに、目の前のデスクの氾濫に、ピアノの上の楽譜の山に。
 今、私の思考が、氾濫してきた。

●随筆同人誌【蕗】349号掲載。令和4年1月1日発行。

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