【エッセイ】「いつも楽しませてくれる」
恵方巻だ、立春だと私たちが浮かれていた頃、小澤先生が逝く。
その日が近い未来であることをみんな知っていたのに、やはりこの世がレクイエムとなった。
あの日以来、私のSNSには小澤先生の映像や音楽が溢れ出し、それを無視することができず見入ってしまって、かなり寝不足の日々。それでなくても今月はいつもより数日少ないのにである。
映像で印象的だったのは、サントリーホールで行われた小澤先生の還暦祝賀コンサート。世界中からお祝いの為に音楽家が集まって、とても華やかな会だった。私もその場に観客として座っていたので尚更感慨深かった。私の恩師も小澤先生の盟友としてロストロポービッチの後に演奏なさり、カーテンコールの折は小澤先生が笑顔で抱きついてくださっていて感動的だった。そこには満面の笑みの、お元気だった恩師が袴姿で立っていらした。
あれから、29年の歳月が流れていた。
恩師が常に語っていた小澤先生に対する想いも、改めて思い出される。
「僕は小澤さんが好きだ」と周りにはばかることなく吐き出すようにおっしゃったことがある。「どういうところが?」とか、「普通の人との違いは?」とか、周りの弟子たちの質問を寄せつけないようなおっしゃり方がそこにあった。魂の奥底から取り出した、核のような言葉。先生ご自身も世界中の木管金管奏者から尊敬を集めた人物なのだが、その人が一点の曇りなく尊敬し、憧れ仰ぎ見ていた、ほぼ同い年の音楽家。私は次々と流れて来る映像から改めてそのカリスマ性と魅力を考えていた。
お若い時からそうなのだが、指揮ぶりは晩年になっても常に情熱的だった。ライオンのような髪が音楽をなぞるようになびいて、映像的にもそれが強調された(お髪が寂しければあんな印象はないと思う)。指揮ぶりだけではなく、音楽に対するそもそもの情熱がやはり規格外な方で、それが内にこもることなく体現されていた。
恩師の言葉で「いつも楽しませてくれる」というのを思い出した。音楽はもちろん、日常の会話や会食の折、その挙措において、きっとそういう方だったのだと思う。
世界的な指揮者にならなくても、世界的な音楽家にならなくても、この「いつも楽しませてくれる」なら少しは私も近づけるかもしれない。これから先も大変な事はあるだろうし、面白いことばかりでは無いはずだけれど「いつも楽しませてくれる」をキーワードに、コツコツ何かを続けていけたら。
あ、もちろん『蕗』の執筆もなのだが。
●随筆同人誌【蕗】掲載。令和6年4月1日発行