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【エッセイ】花火とヘリコプター

 バルコニーから花火大会を見ていた。
今年は天候にも恵まれ、無事定刻に花火が
打ち上げられている。
 大きな花火大会が真正面に見える我が家のバルコニーは、仲間からも垂涎の的なのであるが、今年も友人が、山ほどの手土産を抱え花火見物に来てくれていた。
「ヘリコプターが3機も飛んでる。撮影だね」
と、隣でヘリコプター嫌いの友人が言った。
私の目には2機しか見えないのだが、ヘリコプターを異常に嫌っている友人にはしっかりと3機見えていたようだ。
 友人が言うには、前世からの記憶で、ヘリコプターに大変な嫌悪感を抱いているらしい。どこかの国の戦禍で、ヘリコプターに追いかけられて狙われていたんだとか。細胞の奥深くまで染み込んだ記憶だと言う。
「ほぉら、向こうにも一機いる。あ、こっちに来るじゃん」
 花火も良いが、ヘリコプターが気になる様子である。

 ヘリコプターで、思い出すことがある。私の恩師の、修行時代の話である。
 大学進学を勧められながらも、高校卒業後に企業にご就職。しかしその後、24歳の頃単身上京なさり、崇高な志で音楽家としての修行を始められた恩師であったが、当然ながら何度かの挫折を味わっていらした。
 そんな頃、静岡からお母様がひょっこり上京なさり、ついてくるように言われたそうである。その後ろをついていくと、ヘリコプターに乗せられたというのだ。(今現在も、『東京ヘリコプター遊覧』というプランがある。ご興味のある方は是非)。ヘリコプターに乗り込んだ若き日の恩師とそのお母様。多分、昭和30年代前半頃だと思われる。
 お母様は、上空から眼下の東京を見下ろしながら、
「東京の町はこんなに広いんだ。お前が1人生きていける位のスペースはきっとあるよ」とおっしゃったそうである。
 恩師はその後も、御両親の衷心からの不断の応援を受け続け、その豊かな人間性と実力とご努力により、東京のみならず世界に名を轟かせる音楽家となられたのだった。

「かっこよすぎるわ、その話」と、友人が間髪を置かずに言った。
「そうなのよ。すごい方の母は、もっとすごかったって話。ところでヘリコプターは乗ったことあるの?」
「ないねっ」やはりまた、間髪置かずに友人が言った。

●随筆同人誌【蕗】掲載。令和6年10月1日発行

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