不便さを楽しむ旅
旅を楽しむということは、不便さを楽しむということなんじゃないかなと思います。
例えば、お金を払ってツアーに参加すれば、簡単に目的地にたどり着くことができるのに、
わざわざ自分たちで行き方を調べて、ローカルバスを使い、言葉も伝わらずに歯痒い思いをしたり、騙されそうになったり、迷ったり・・・
そうやってわざわざ苦労することで、
途中でステキな景色に出会ったり、おいしいご飯屋さんや、ステキなお店を見つけたり、現地の人の優しさに触れたり、
ツアーの参加では絶対に感じられない充実感を味わえることを知っているんですよね。
目的地へ行くことが旅行なら、目的地へ行く過程を楽しむことが旅なのかも。
しかも、不便を楽しむということは、便利さを楽しむということでもあると思うんですよね。
例えば、お米が主食の国ってたくさんあるけど、炊飯器がある国ってほんとに少ないと思うんです。
鍋でごはんを炊くのは、炊飯器で炊くよりもずっとめんどくさくて、このめんどうな作業をしながら、
「炊飯器ってなんとすばらしい発明品なんだろう。」と考えたりします。
The 便利な国・日本で暮らしていると、それが当たり前になりすぎて、普段は全く気付きもしないんですよね。
便利さに慣れてしまっていたのが、不便さを味わうことで感覚が正常化して、
便利な道具に対して本来持つべき「感謝」の気持ちのようなものがよみがえってくるからかもしれません。
というわけで、海外で餃子が食べたくなった私たちは、餃子の皮をせっせと作り始めたんですね。
もちろん海外には餃子の皮なんて売っていないので、自分たちで作ります。
餃子の皮を伸ばす棒もないので、ワインのボトルでのばします。
必要なものがない時は、頭をひねって、体を使って、手持ちの道具で代用しなくてはいけないのです。
旅をしていると頭を使いますね。
不便さを知恵で克服したときの、ちょっとした達成感や、新しい発見は私たちの心を少しばかり豊かにしてくれます。
不恰好な餃子だけど、味は格別!
キャンプのときに作るカレーがおいしいのと一緒かも。
便利なことはありがたいけど、それに慣れすぎると大切な気づきの機会を逃してしまうこともあるんだろうな。
関係ないけど、ミニトマトのホール缶の缶詰を見つけて、コロコロしたミニトマトのかわいさにちょっと萌えた。日本にもあればいいのに。