【Story of Life 私の人生】 第5話:幼稚園時代の思い出
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回は、第4話:誕生から幼少期 Part 2 をお送りしました。
今回は、私の幼稚園時代の思い出話をしようと思います。
家の中の「家族3人だけ」の空間では、両親に対しての恐怖心で萎縮していた私。でも、本来は「楽しいこと大好き人間」です。
家から一歩外に出てしまえば、そんな恐怖心は何処かに飛んで消えてしまい、それなりに楽しい日々を過ごしていました。
1968年4月に、東十条駅にほど近い、お寺の幼稚園に入園します。
十条銀座の家から徒歩15分位、今まで一緒に遊んでいた、お兄ちゃん、お姉ちゃん、同級生が一緒で、毎日一緒に通って、それこそ「託児所」の延長状態(笑)
気心知れた遊び仲間がいつも一緒だし、新しい友達も出来たから、もう毎日が天国状態♪
幼稚園の行事も多かったので、楽しくて、楽しくて仕方なかったです。
春のお遊戯会ではクラスの皆で踊ったり、夏のプールは浮き輪をつけて入ったり、秋の運動会はかけっこやフォークダンス、クリスマスの劇では赤ずきんちゃんになったなぁ…
その中でも、一番思い出深いのは、花まつりのお稚児さん。
幼稚園がお寺だから、毎年4月8日のお釈迦様のお誕生日に開催される、花まつりの行事に幼稚園(お寺)代表として、2年とも参加させてもらいました。
これだけは、全員が参加出来る訳じゃなく、園長先生に選ばれるシステム。
何故私が選ばれたかというと…当然裏がある訳です。
園長先生は、私の母が育ったお寺の親戚だったのです。
ということで、「親戚エコ贔屓」状態(笑)
そんな裏があるなど知らない私は、代表に選ばれて、綺麗な衣装を着て、日比谷公会堂で行われる「花まつり」の稚児行列に行けることが嬉しかったです♪
花茶を掛けて、お花を捧げて、舞台を歩く…普段とは大違いの大舞台に大興奮していたことを思い出しました。
心の底のどこかで、「自分はイケてる」と思っていたはず(笑)
七五三は数え年でお祝いしましたので、年長さんの時。
和裁のプロである母が、仕事の合間に縫ってくれた振袖を着て、この日の為に1年以上伸ばした髪を美容院で結ってもらいました。
そういえば、三歳のお祝いの時の着物も、貸衣装や出来合いのものではなく、母の手縫いでした。
両親の子供時代は、戦争真っ只中。
自分達がしてもらえなかった、出来なかったことは、全て私に経験させたいと思ってくれたのだなぁ。
今になって思えば、私は両親からしっかり愛されていたのだなって、感謝の気持ちが湧いてきます。愛情表現が私の欲しかったものと違いすぎていて、ただ理解出来なかったのですね。
お父さん、お母さん、本当にごめんなさい。そしてありがとう。
話は変わります。
年長さんになると、幼稚園の授業で、ひらがなや数字を書く練習をし始めました。そこで一つ大問題が発生…
私、本来は左利きなんですよ。
時は昭和40年代、世間では「左利きはみっともない」という時代だったんです。
そのせいで、小学校入学するまでの間に、箸、鉛筆、ハサミなど、「全て右で使えるようになる」という苦行が私を待っていました。
確かに左利きは肩身が狭かった時代。
私が中学生の頃くらいまで、左用のハサミや包丁は無かったし、ソフトボールのグローブも右用だけだった…
子供にはかなり辛い「矯正」を丸1年かけてし、どうにか右手を使えるようになりましたが、私には違和感しかなく…
文字も数字も、書き方がおかしいし、上手に書けず。
親や先生からも「変だ」とか、「ダメだ」と言われ続ける日々。
「イケてる」はずだったのに、その自信は脆くも崩れ去り…
ここで「私はダメな人間なんだ」という「劣等感」が顔を出し始めました。
「劣等感」は、その後の人生の大きなキーワードになっていくことになります。
〜続く。
今日はここまでです。
次回は、第6話:幼稚園時代の思い出〜番外編 Part 1 に続きます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪