【Story of Life 私の人生】 第82話:簿記検定までの道のり
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回は、 第81話:新たな挑戦 をお送りしました。
今日は、簿記検定受験までのお話をしようと思います。
職安で求職面談をし、プログラマーを除外すると、当時の私のスキルだと「一般事務」くらいしか選択肢が無かった私。
でも「一般事務」は、学歴が高卒の場合は20歳まで、短大卒で22歳までで、当時の私では応募要件を満たさないことが判明。
でも「日商簿記3級」さえ持っていれば、22歳以上でも応募可能な会社が沢山あるということがわかり、情報処理の勉強をしたTACで簿記の勉強をすることを思いつき、週に4日、1コマ4時間で2ヶ月の「3級・2級速習講座」を即座に申し込みました。
最初の授業は、次の日曜日の朝9時からスタートすることになりました。
さて、授業初日の日曜日になりました。
授業は9時スタートなので、通勤していた頃と同じような時間に起きて、7時半過ぎのバスに乗り、電車を乗り継いでお茶の水まで。
駅から10分くらい歩いて、神保町の教室まで行きました。
教室に入ると、結構沢山の受講生がいて、ビックリ!
殆どが現役の大学生で、私のようなプー太郎や主婦が数名という感じでしたが、年齢層はほぼ同年代だったので、気が楽でした。
授業は月曜、水曜、金曜、日曜の週に4日で、授業は朝9時から午後1時まで。
2ヶ月間で、初心者が日商簿記2級までの合格を目指すクラスだから、授業のスピードも割と早い!
4時間の授業は、あっという間に終わっていき、延長もしばしば。
次の授業では、ミニテストが必ずあり、前回の授業の習得度を見るというシステムでした。
簿記って「お小遣い帖」の延長くらいだろうとしか思っておらず、正直なところ少し舐めていたのですが…
実はそれが大きな間違いだということが、初日に判明しました。
まず「複式簿記」の概念がなかなか理解出来ず、大混乱に陥りました。
そこを自分で理解するまで、かなり時間が掛かりました。
また、宿題は無いものの、授業の復習を兼ねて問題集をこなす必要がありましたが、とにかく問題の量が半端ではなくて…
特に3級は、実際の記帳や転記などの手順が多くて、それぞれ時間がかかるものばかり…
途中を端折ってしまうと、分からなくなってしまって、その先に進めない!
授業のある日は、午後3時過ぎに帰宅して、問題集をやり始めるのですが、夕飯は母から電話が掛かってきて慌てて実家に行って食べ、家に戻ってから再開。
気がつくと、あっという間に夜中2時位になっていました。
授業の無い日は、朝9時に問題集をやり始め、やはり夜中2時位まで、ひたすら数字と格闘する日々が続きました。
出向していた頃に近い生活に戻っていましたが、相手は「お客さん」ではなく「問題集」だし、家でやっているから、終わったらすぐに布団に入れるという点では、心身ともに楽でした。
が、そんな努力も虚しく、授業のスピードと、問題集の進捗が噛み合わず…
授業はどんどん進んで行くのに、問題集はやってもやっても先に進まない状態になっていき、授業前のミニテストも全然出来ない…
本当に凹みました。
でも、同じクラスの同級生達とどんどん仲良くなり、授業の後に近所の明治大学の学食でお昼を食べながら、その日の授業やミニテストの復習をするようになりました。
皆、同じように辛い思いをしていたから、自然と「1人じゃないんだ」という仲間意識が生まれていったのだと思います。
「一緒に頑張って合格しよう!」という、同じ目標に向かって、支え合うようになりました。
それでも問題集との格闘は、誰も助けてくれる訳ではないから、冗談抜きで本当に辛かったです。
3級の授業が終わった時、私は3級の問題集がまだ半分位しか終わっていなかった…
翌日から、授業は2級の商業簿記になりましたが、私は家で「3級」の問題集をひたすら解く日々が続きました。
そんなこんなしているうちに5月後半になり、授業は2級の商業簿記が終わって、工業簿記に入っていました。
そこでやっと3級の問題集が完結(汗)
完全に「周回遅れ」の状態でしたが、試験に間に合うかどうかは別として、もうひたすらやるしかない!
そこから2級の商業簿記の問題集に取り掛かり始めました。
ところが、あら不思議!
2級の商業簿記の問題は、想像より遥かに「簡単」に思えてきて、サクサク進むでは無いですか!
3級の「プロセス重視」問題は無くて(出来て当然ということでしょうね)、1つの問題に掛かる時間が、圧倒的に少ないのです。
今までと同じくらいの時間を掛けて、毎日問題集と格闘していたら、2級の商業簿記の問題集は1週間で完了出来てしまい、工業簿記の授業に追いつくことが出来ました。
そこから先は、授業でやったところの問題集だけこなせば良いから、ここから最後の2週間は、正直言って本当に楽チンでした♪
過去問題集も、3級、2級ともに5回分をこなしており、「ここまでやったから、絶対に合格出来る」という自信がついていたと思います。
これまでに、何度も検定試験や資格試験などを受けて来ましたが、これだけ「自信」を持って受験することができたものは、他に無いです(笑)
簿記検定試験は、TACの団体受験だったから、クラスメイトと一緒に同じ教室で受験しました。
3級と2級の併願だったから、試験は丸1日。
試験が終わった後は、クラスメイト全員で集合して「打ち上げパーティ」で大いに盛り上がりました。
試験が終わると、翌日から学校に行く必要も、問題集と格闘する必要もなくなり、再びヒマな日々が戻ってきました。
2ヶ月間の達成感に浸りながらも、そろそろ何か仕事を探さないとと思うようになりました。
まだ検定の結果が出ていないから「経理事務」で正社員の応募は出来ないので、どうしようかな?と思っていたところ、集団会仲間から「派遣の登録してみたら?」と勧められました。
当時はまだ「派遣」はメジャーではありませんでしたが、いくつかの会社の条件を調べてみました。
時給は高いけど社会保険加入のない会社が殆どでしたが、たまたま某音響メーカーの子会社がやっている派遣会社では、時給は他の会社よりは安いけど、社会保険完備で、交通費も支給されるということが分かり、早速応募して面接し、無事登録を完了しました。
すぐに仕事が来るとは思っていなかったから、登録した翌日は、夜勤明けの旦那さんと千葉で待ち合わせをして、一緒に御宿の海を見に行きました。
6月中旬でしたが、梅雨の中休みのドピーカンの日で「月の砂漠」で1日ぼーっと海を眺めて過ごし、夜7時ごろ家に戻りました。
家に戻ると直ぐに電話が鳴り、出てみると登録した派遣会社からでした。
何と「紹介したい仕事があるから、明日面接に行けますか?」と言うではありませんか!
仕事の内容を聞くと、修理サービスセンターの事務ということで、主に修理受付、修理記録のコンピューター入力、部品の棚卸しとのことで、期間は最低6ヶ月で、延長の可能性ありとのこと。
翌日からヒマな日々が待っているのだから、断る理由は無いので、面接に行くことにしました。
翌日派遣会社の担当の方と一緒に、修理サービスセンターに面接に行き、その日のうちに翌週からの就業が決まりました。
結果として、ここで翌年4月末までお仕事することになるのですが、こちらについては別途お話ししようと思います。
そうそう、簿記検定の結果は7月中旬に届きました。
団体受験をしたので、合否発表はTACから通知がありました。
おかげさまで、3級、2級とも、満点で合格することが出来、合格証を受け取りました。
担任だった先生から「問題集を端折らず、全部潰したことが満点合格の大きな要因」と言っていただくことが出来て、改めて「諦めずによく頑張った」と、自分を褒めることが出来ました。
今思い出しても、あの2ヶ月は本当に辛く厳しい毎日でした。
後にも先にも、これだけ集中して勉強した事は他には無いと断言できます(爆)
他の試験勉強も、これだけ集中出来れば良いのですが…
恐らく、この時に「一生分の集中力を使い尽くした」と言っても過言でないと思っていますので、これ以上は無理みたいです(笑)
実際に「経理」として仕事を始めたのは、修理サービスセンターの派遣契約が終了した後でしたので、簿記の勉強スタートから約1年後のことです。
そこから35年、ずっと経理の仕事に就くことになりましたから、ここが大きな転換点だったことは言うまでもありません。
〜続く
今日はここまでです。
次回は、第83話:初めての派遣 に続きます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪