【Story of Life 私の人生】 第7話:幼稚園時代の思い出 〜 番外編 Part 2
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回は、第6話:幼稚園時代の思い出 〜 番外編 Part 1 をお送りしました。
今回は、私の幼稚園時代の思い出〜番外編 Part 2、父の田舎へ行くお話です。
昨日は「母の田舎へ行く」お話をしましたが、当時「田舎に行く」といえば、母の実家に行くことが殆ど。
実は、父の実家へは数えられるくらいしか行っていません。
その理由はふたつ。
ひとつ目は、交通手段の問題です。
当時、最寄りの藤野駅から父の実家までの交通手段は徒歩、すなわち登山道を歩く以外しかなかったこと。
私が歩けるようになる前だと、おぶったり、抱っこしたりして、山道を歩くことになります。
1歳の時、田舎で祖父母に抱っこされている写真が残っているので、その時は両親共に頑張って歩いたのだろうと思いますが、もしかすると、それで懲りたのかな?とも思います。
私が一番覚えているのは、4歳になる少し前。
父の養父(私の祖父)が亡くなったので、家族で葬儀に行きました。
この時が、私の「登山初体験」だった訳です。
舗装されていない、急勾配もある登山道をひたすら歩く。
自分では登れないような坂は、親に手を引いてもらうしかない。
今思えば、子連れだと普段の2倍以上の時間が掛かったと思いますから、親も大変だったと思うのですが、私は最後は疲れて泣き喚く。
もう、辛いを通り越して、「苦行」以外の何者でもありませんでした。
行田の砂利道30分が、どれほど天国に思えたことか…
余談ですが、今では道がかなり舗装され、山道ではあるけどバスも走っています。
藤野駅から終点のバス停まで20分くらい、そこから山道を歩いて20分程度ですし、軽自動車なら、なんとか車で行ける(私の運転技術では、絶対に無理ですが…)ようになっています。
話を元に戻しますが、もうひとつの理由は、父の家庭事情。戸籍上は「長男」ですが、所詮は「養子」だったことです。
養母の実子が後継ぎとなっていましたし、本来の実家(生家)には、居所がなかったから、よほどの事情がない限り、父の田舎に行くことはありませんでした。
父の養家は、酪農を生業としていたので、乳牛が沢山いました。
牛がいるということは、鼻が曲がるくらい臭いし、ハエは無数にいる。
山奥だから、ハエ以外の虫も沢山いるし、更にヘビも沢山いる!
トイレは外、これは行田も同じでしたが、山の暗さは半端なく、本当に怖かった。
夜は蚊帳の中で寝るのですが、寝ているとヘビがどこからか入ってきて、顔をペロッと舐められたこと数回。
その度に「もう帰る!」とギャン泣きしたのは、言うまでもありません。
「行くまでが苦行」に輪をかけて、「行田より数倍怖い」ことが多いのですから、良い印象は全くなし。
ただ、ひとつ違いの従姉妹がいたことだけが、唯一の救いでした。
一人ぼっちの行田とは違い、歳の近い遊び相手がいるという点だけは、100点満点でした。
話は、おじいちゃんのお葬式の前日に遡ります。
家で葬儀を行うので、準備でてんやわんやしている中、従姉妹と私がウロチョロしているのはよほど邪魔だったのでしょうね、叔父に二人とも連れ出されました。
連れて行かれた先は、近所の川でした。
真夏でしたが、葬儀で来たので、当然水着なんて持って来ておらず、従姉妹と二人揃ってパンツ一丁で川遊びすることになったのですが、山奥の川=急流です。従姉妹は慣れていましたが、いくらタイヤチューブの浮き輪があるとはいえ、全く泳げない私。
東京のプールとは勝手が全然違う!
かなりのスピードで流され、溺れかけました…
叔父に助けられたけど、恐怖で当然ギャン泣きです。
また夏とはいえ、川の水温はとても冷たかったので、その日の夜に大熱を出してしまいました。
大人からすれば、本当に迷惑な話だったのでしょうが、通夜から葬儀までの間、私は熱にうなされ、氷枕に額にタオルを当てられて寝かされていたことを、今でも鮮明に覚えています。
そのトラウマでしょうか、今でも川は怖いです。
食事は、行田とはまた違った苦痛の種でした。
魚はヤマメやマスなので、泥臭さはあまり無いけど、小骨が多くて喉に刺さる…
野菜は、山菜みたいなものがメイン。
今は大好きですが、当時はただ苦いだけ(泣)
搾りたてのフレッシュな牛乳は飲めるのだけど、濃すぎてお腹を壊す…
ただひとつだけ、美味しかったもの、それは、お葬式の時に食べた、上野原の酒まんじゅうでした(笑)
ということで、父方の田舎も、母方の田舎も、あまり良い思い出はなく、トラウマだらけです。
そうそう、私の祖父母についても、少しお話しておこうと思います。
父方の祖父(父の養父)は、私が4歳になる前に亡くなり、祖母(父の養母)は、小学生の頃に亡くなりましたが、田舎に行くことが殆どなかったこともあり、あまり記憶がありません。
喉頭癌を患った祖母が、癌研病院で治療するために上京していた時期はあるのですが、我が家から徒歩数分の惣菜屋に嫁いだ、父の姪の家に滞在していました。
母が癌研病院に連れて行っていましたが、昼間は父も仕事で不在だったこともあり、祖母が我が家に来てくれることは殆どありませんでした。
また実の祖父母も、私が生まれる前に他界しているので、お会いすることは無かったです。
母方も、祖父は昭和18年で他界、祖母も私が物心つく前に他界しているので、祖父母の記憶は全くなし。
私は、祖父母との縁がかなり薄かったので、そういう意味では、少し寂しく思う時があります。
おじいちゃんや、おばあちゃんがいる友達が、本当に羨ましかったな。
私の幼少期は、こんな感じで過ぎて行ったのでした。
〜続く。
今日はここまでです。
次回からは、小学校入学からのお話、第8話:小学校入学直前 〜 ランドセルを買ってもらう に続きます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪