【Story of Life 私の人生】 第36話:クラブ活動 Part 2 〜 課外クラブ
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回は、 第35話:クラブ活動 Part 1 〜 課内クラブ をお送りしました。
今日は、中学生時代のクラブ活動のお話 Part 2、課外クラブについてのお話をしようと思います。
中学生になったら、絶対にクラブに入ると決めていた私。
オリエンテーションで、各クラブの説明会がありました。
本当は、バレー部やテニス部のような、運動部に入りたかったのですが…
元々「鈍臭い」ことと、喘息がぶり返してしまったらという懸念があり、親から許可が出ませんでした(泣)
運動部の「マネージャー」という手もありましたが、ガサツな私には無理そう。
となれば、文化部のどこかを選択するしかありません。
結果的に選んだのは、当時「区内の中学校で一番下手くそ」で有名だった、吹奏楽(ブラスバンド)部でした。
「運動がダメなら、好きな音楽にするか」という軽い気持ちだったと思います。
小学生の時からずっと仲良しだったN子ちゃんも、運動が苦手だったから、一緒に入部することになりました。
余談ですが、合唱部もあったのですが、こちらも吹奏楽部と同じく「区内の中学校で一番下手くそ」で有名だったので、部員がかなり少なくて…
区内での合唱発表会がある時には、吹奏楽部員がもれなく借り出されました。
話を元に戻します。
入部すると、どの楽器を担当するのかを決める必要がありますね。
選択肢は、トランペット、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム、チューバ、フルート、ピッコロ、クラリネット、テナーサックス、アルトサックス、打楽器。
管楽器は、実際にマウスピースを使って音が出せるかどうか、テストがありました。
私は、とりあえず全部音を出すことが出来たので、管楽器のどれを選んでも良いことになりましたが、逆にどれも音が出せない子が1人。
選択肢は打楽器だけなので、彼女は打楽器担当になりました。
N子ちゃんは、サックスしか音を出すことが出来なかったから、サックスはN子ちゃんで決定。
金管楽器しか音が出せなかった子が1人。彼女はホルンを選択しました。
私を含めて残り3人は、とりあえず全部音を出すことが出来たので、クラリネット、フルート、ピッコロのどれかを選択することになりました。
1人は「絶対にフルートじゃなきゃ嫌」ということで、フルートは彼女に決定。
私ともう1人は、吹奏楽では一応「花形」であるクラリネットに決定しました。
ということで、3年間クラリネットを吹く生活がスタートしたのでした。
楽器は、学校で借りることも出来たのですが、プロのサックス奏者だった叔父(父の実兄)に話をすると「楽器は借り物じゃダメ」と言われ、結局、叔父に選んでもらうことになり、次の日曜日、両親と叔父に連れられて、銀座の山野楽器に行くことになりました。
初めての銀座の街は、とてもオシャレで、我が家には場違いな感じ。
とても緊張して「借りてきた猫」状態(笑)
山野楽器に入ると、どこを見ても楽器がズラリと並び、圧巻でした。
クラリネットコーナーへ行くと、叔父から担当の方を紹介され、2人に色々とレクチャーしてもらいました。
お勧めメーカーは「セルマー」か、「クランボン」とのこと。
実際に音を聞かせてもらいましたが、好みはセルマーでした。
が、目が飛び出そうな金額でビックリ!
叔父のような「プロ」ならともかく、初心者が使うには勿体なさすぎる(汗)
ということで、クランボンの中から選ぶことになりました。
値段はピンキリでしたが、真ん中位のモデルを買ってもらうことになりました。
初心者の中学生には、かなり勿体ないグレードでしたが「どうせなら良いものでスタートすべき」と叔父から強く勧められ、また叔父のお陰でかなりお安くしてもらえたので、遠慮なく買ってもらいました。
と同時に、リードも、かなりの枚数を購入するように言われました。
リードにもグレードがあるのですが、これは「普段使い(練習)用」と「本番用」の2種類を買うことを勧められました。
後から分かったのですが、クラリネットの竹のリードはすぐに割れてしまうし、1枚のお値段がかなり高い!
楽器と一緒に買ったので、こちらもかなりお安く手に入り、本当にラッキーでした。
やはり「餅は餅屋」、身内にプロがいて本当に良かったです。
次に楽譜のコーナーに行き、初心者用の教本を買ってもらい、その後、みんなで三笠会館で食事をしました。
銀座で外食をしたのは、この時が生まれて初めてだったので、とても緊張したことを覚えています。
余談ですが、そんなに安い買い物じゃ無いのに、お金をどう工面したのか、かなり疑問だったのですが…
後日、父の兄弟姉妹から頂いた入学祝金が、私のクラリネット代金に充てられていたことが分かりました。
もう感謝しかありません。
話を元に戻します。
翌日の月曜日、学校にマイクラリネットを持って行き、クラブで本格的に練習を始めました。
クラリネットは、主に旋律を担当するファーストから、和音を奏でるセカンド、サードと、パートに別れており、合わせて6人で分担をすることになりました。
パートの分担は、あみだくじで決めることになり、その結果、私はファーストが当たりました(笑)
主旋律を吹くことになるので、曲を覚えやすい反面、失敗が許されない訳で。
失敗すると、みんなから白い目で見られてしまう。
練習中ならともかく、本番はやり直しが出来ないので、毎回プレッシャーを感じていました。
それでも、1学期が終わる頃には、学校の校歌、君が代、ボギー大佐、コバルトの空、星条旗よ永遠なれ、ワシントンポスト、宇宙戦艦ヤマトの主題歌などの行進曲が吹けるようになっていました。
また、近隣中学校の合同演奏会が、秋に開催されることになり、これにも「半強制的」に、参加することになりました。
既に覚えた曲に加えて、映画「南太平洋」のテーマ曲を演奏することになり、必死で覚えました。
夏休み中は、合同の練習会があり、他校に赴いて行ったのですが、何せ「区内一の下手くそ」と言われていた私たちです。
部員全員、針のムシロ状態で「失敗しませんように」と毎回祈りながら練習しましたっけ。
そんな中、野球部が夏の都大会に優勝し、関東大会に出場することになりました。
夏休み中の8月に、学校を挙げての応援団が結成され、横浜平和球場(今は建替えられて横浜スタジアムになっています)に行くことになりました。
「下手くそ吹奏楽部」でも、応援に「鳴り物」がある方が良い訳です。
ということで、吹奏楽部もスタンドで応援演奏をすることになりました。
関東大会だから、出場校は8校だけなので、1日で全てが終わるスケジュール。
朝6時にバスで学校を出発し、試合開始が朝8時。
1回戦は問題なく勝ってベスト4。
準決勝も延長でなんとか勝ち、決勝に駒を進めたのですが…
決勝で負けてしまい、準優勝…
この年の全国大会の出場を逃してしまいました。
3試合の演奏が終わったので、これで帰れると思っていたら、3位決定戦の出場校から「応援演奏をしてもらえないか?」と依頼が来て(汗)
結局4試合の応援演奏をすることになってしまいました。
当時は、今のように気温35度ということは無かったけれど、それでも30度の炎天下で、朝8時から夕方6時過ぎまで演奏したので、みんな日射病気味になり、フラフラだったことを覚えています。
練習に明け暮れた夏休みが終わり、9月下旬に合同演奏会。
当日は緊張しすぎて、少し失敗しましたが、何とか終わり一安心。
10月の体育祭では、校歌や行進曲を演奏し、11月の文化祭では、合同演奏会の演目だった南太平洋を演奏しました。
また、入学式や卒業式など、年間行事に必ず演奏することになっていたので、割と忙しかった気がします。
翌年以降は、音大を目指していた、1年下、2年下の後輩達が入部してきました。
私の同級生2人と後輩達は、音大附属の高校に進学したので、元から優秀でした。
お陰で、二年生以降は「区内一の下手くそ学校」というレッテルからは、どうにか脱出出来た模様です(笑)
思い返せば、3年間色々ありましたが、とても充実した部活生活でした。
高校では、吹奏楽部には入部しませんでしたが、20歳くらいまでは趣味のサークルのような集まりで、クラリネットを吹いていました。
その後は、クラリネットを吹く機会がなくなってしまいましたが、それから20年くらいの間は、家でしっかり手入れだけはしていましたっけ。
18年前の引越しを機に、区に寄付という形で、思い切って手放しました。
今でも誰かが、大切に使ってくれていれば良いなぁと思う今日この頃です。
〜続く
今日はここまでです。
次回は、第37話:英語狂想曲 に続きます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪