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【Story of Life 私の人生】 第71話:自暴自棄
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回は、 第70話:真夏の恐怖 Part 2 をお送りしました。
今日は、栄養専門学校退学後のお話をしようと思います。
8月の最終週に入院して、9月の最終週に退院することが出来たのですが、学校の方は既に出席日数不足のため、この時点で留年が確定。
今回は両親が授業料を支払ってくれたのですが、留年のせいで1年分余計な出費をさせてしまうことに申し訳なさを感じ、9月末で栄養専門学校を退学しました。
退学後は、家に戻っても私の居所はないから、今まで通りアパート暮らしを続け、アルバイトで生計を立てることにしました。
年明けから9ヶ月の間に、死の恐怖を3回味わい、学校の中退も2回という、何とも「お粗末」な状態で、出口のないトンネルに入った状態のまま10月に入り、21歳の誕生日を迎え「夢も希望もない」スタートを切りました。
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両親に「退学後は、自分で生計を立てる」と約束したので、まずは収入源を確保しなければなりません。
そこで、入院前に働いていた新宿の社交ダンスホールに「退院した」と連絡を入れてみました。
幸い、会社からは「以前と同様に、レジ係で復帰して欲しい」と勧めていただく事が出来たので、10月から仕事に復帰することになりました。
一緒にアルバイトを始めた友人は、そのままクローク係で働いていたので、とても心強かったです。
復帰前の打ち合わせの時に、学校を退学した事をマネージャーさんにお話ししたところ「それならアルバイトではなく、社員になれば?」ということになりました。
仕事は全く同じだから、気分はアルバイトのままだけど、社員として採用してもらえることになったことで、お給料はアルバイトの時よりも若干高くなりましたが、社会保険料を天引きされてしまうから、手取りは殆ど変わりませんでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1666693512614-Fa5351zWF5.jpg)
学校に行く必要がなくなり、仕事は夕方から夜までという生活がスタートしました。
仕事は4時半スタートだから、家を3時に出れば十分に間に合う。
それまでの間は、学校に行く必要もなくなっちゃったから、特に何もすることがなく、掃除したり、コインランドリーに洗濯しに行く以外は家でグータラするだけ。
最初の1週間くらいは、「ずーっとこのままで良いのだろうか?」と思っていて、罪悪感のようなものもありましたが、そのうちに慣れてしまいました(笑)
とはいえ、生活習慣には慣れても、心の中は将来に対する不安や、焦りに占領されている状態だから、行動と気持ちが噛み合っておらず…
時間だけはたっぷりあるから、暇な時はずっと「自問自答」タイム。
常に他の人と比べていて「自分はダメ人間だ」とか「人生の落ちこぼれ」といった、ネガティブな感情の「悪循環スパイラル」にどんどん陥っていきました。
新しいチャレンジや、明るい未来像について考えようとしても、結局は「無顆粒球症に邪魔されて、何一つ成功出来ないじゃないか」という「最悪のシナリオ」しか思い浮かばず、両親から日常茶飯事に言われている「穀潰し」という言葉がグルグルする状態。
正直なところ、何もかもが嫌になってしまい、病気を恨み始めました。
定期通院して薬を飲んでも、副作用との戦いしかなく、何かの拍子で「何でもない菌」にやられてしまうばかりという状態に耐えらえれなくなっており、病院に行くことが「馬鹿馬鹿しく」思えてきて、病院に定期通院することをボイコットするようになりました。
病院から、何度も「生存確認」の電話が来ましたが「もうどうにでもなれ」という、完全な「自暴自棄」状態にはまっていたから、適当な言い訳をしてやり過ごしていました。
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病院の定期通院を完全にボイコットし始めてから2ヶ月くらいの間は、体調は良いわけでは無いけれど、特に何の異変も起こらず、普通に仕事と家の往復をしていました。
ところが、12月に入って少し経ったところで、扁桃腺が腫れて高熱が出た上に、尿が全く出なくなりました。
今まで学んできた知識から考えると「急性腎炎」ではないかと思え、昔実習でやった「尿の煮沸」を家でしてみると「尿蛋白陽性」の結果が出ました。
これ以上の病気は勘弁して欲しいし、自分の彼氏を含めむ腎疾患者の辛さを目の当たりにしてきたから、自分まで「仲間入り」するのはまっぴらご免!
そこで思いついたのが、同級生達が通っていた「女子医大病院」の腎センターに行くことでした。
職場からも近いし、腎移植した同級生達もここに通っているのだから、急性腎炎くらいなら簡単に治してくれるだろうという感じ。
また、防衛医大の定期通院を完全にボイコットしていたから、今更頭を下げて戻りたくないという気持ちも強かったことは否めません。
寮にいる彼に電話をして、状況を話したところで「腎炎の疑い」を確証し、女子医大病院に行くことを勧められたので、翌朝行ってみることにしました。
女子医大病院は、今まで通ったどの病院よりも大きくてビックリ!
総合受付で症状を説明すると「腎センター」の初診手続きをしてくれました。
かなり混んでいて、初診の問診に呼ばれるまでに3時間くら待たされ、そこから尿検査や血液検査、レントゲンなどを回ってくるように言われました。
それが終わって、更に2時間くらい待って、やっと診察になりました。
診察の結果は、案の定「急性腎炎」でしたが「早期発見」状態でかなり軽度、入院する必要はなく、自宅で数日療養すれば大丈夫だろうとのことでした。
ただ、血液検査の結果を見て、白血球の異常を指摘され、そこでバセドー氏病と無顆粒球症についてや、今年に入ってからの3度の入院についての詳細を、洗いざらい話さざるを得なくなりました。
私の話を聞いていた先生は、ただただ唖然としましたが…
「医者として、この状態は放っておけない」と言われてしまい、すぐに「内分泌センター」に紹介状を書いてくれ、そのまま「強制送還」されてしまいました(泣)
院内紹介だったから、午後でも初診で診てもらえることになりましたが、まずは甲状腺ホルモンの血液検査に行くように言われました。
結果が出るまで1時間くらい待って、そこから診察になりました。
診察室に入ると、先生から「あなた、このままだとすぐに死ぬよ」と第一声が!
いきなり「死ぬよ!」と言われて、私は呆然とするしか無く…
次に先生から出た言葉は「ベッドが空き次第、即入院」でした。
仕事の兼ね合いもあるから「何日くらい先ですか?」と聞くと、病棟にすぐに確認してくれ「急性腎炎もあるし、明日ね」と言われ、その場で、この年4度目の入院が決定しました(泣)
この時、今までの治療履歴(遍歴?)を詳細に聞かれたので、さすがに「観念」して、抗甲状腺薬は2つとも副作用が出てしまうことと、そのせいで無菌室送り3回で臨床検査技師養成所を退学させられたこと、虫垂炎の発見が遅れて腹膜炎を起こしたこと、全身ヘルペスになったことを、洗いざらい話しました。
この時の気分は「警察に捕まってしまった犯罪者が取調室で尋問されている」気分、2ヶ月の「通院ボイコット」=「犯罪者の逃亡」でした。
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診察が終わり、すぐに入院予約の手続きをし、家に帰りました。
会社に「明日からまた入院することになった」と連絡をしたのですが、せっかく社員で採用してくれたのに、申し訳ない気持ちで一杯でした。
次に家に「明日から、今年4度目の投獄」と連絡を入れました。
母は「またか…」と一言だけでしたが、明日病院に顔を出すと言ってくれました。
次に彼に連絡し「急性腎炎だったけど、甲状腺がバレて、そっちで明日から入院」と話をしました。
入院の準備は手慣れているから割と簡単に終わりました。
あまり食欲はなかったけど「娑婆の最後の晩餐」ということで、病院では絶対に食べられない、ラーメンと餃子を食べに行きました。
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そして翌朝、この年4度目の入院生活がスタートしたのですが、実はこれが「大きな転機」となります。
この続きは、次回お話ししようと思います。
〜続く
今日はここまでです。
次回は、第72話:手術 〜 暗黒時代の終焉 Part 1 に続きます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪