【Story of Life 私の人生】 第57話:高校卒業
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回は、 第56話:進路決定 をお送りしました。
今日は、高校卒業式と謝恩会のお話をしようと思います。
卒業後の進路について何も考えることなく、高校を卒業することだけ考えて、アルバイトに精を出していた私。
10月の進路面談を機に、やっと重い腰を上げて、真面目に進路を考え始めました。
学校側のサポートのお陰もあり、何とか進路の方向性が決まったのが11月。
2月の下旬に、何とか専門学校(職業訓練校でもあるのですが)の進学が決まり、先生も、両親も一安心、あとは卒業式を待つのみとなりました。
全寮制の学校に行くのだから、4月からはもうアルバイトは不可能と分かっていたので、3月中は最後のアルバイト生活を満喫していました。
話は少し前に遡ります。
卒業式の日、謝恩会をすることになっており、その開催方法についてのアンケート調査がありましたが、私たちの学年は、当然ですが、謝恩会についても「それなりの」要求を出しました(笑)
学校側は、私たちの上級生達と同様に「卒業式の後、学校の体育館で謝恩会を行う」ことを意図してのアンケートだったと思います。
が、事の発端は「3年間の積立金が余った」というところから始まりました。
私たちの要求は「積立金が余っているなら、ちゃんとしたホテルの宴会場で、フォーマルな謝恩会を行う」というもので、それが出来ないのであれば「謝恩会はやらなくて良い」でした。
以前にもお話ししましたが、私たちの学年は、全体的に「やりたいこと」がはっきりしていて、それがダメなら「いっそやらない」という選択をする、学校側からすれば「全くかわい気が全くない」集団です。
修学旅行も、最終的に自分達の主張を押し通して、都立高校で初めて、96時間ルール内で九州に行ったくらいですから(笑)
この要求に対して、今回も都立高校では前例が無かったので、当然学校側は頭を抱えることになりました。
最初は「出来ない」の一点張りでしたが、こちらは「なぜ出来ないのか、理由を示して欲しい」と抵抗し、また「積立余剰金が1人当たり幾らになるか」の開示を要求しました。
余剰金の金額は、1人あたり15000円くらいとの回答を受け、「これだけの金額があれば、ホテルでも立食形式なら出来るだろう!」と突きつける始末です。
結局、今回も学校側が都の教育委員会と話し合い、「卒業式当日で、午後4時半までに終了するなら開催を許可する」ことで合意しました。
卒業式の日は決まっていたから、教育委員会の許可を貰ったその日から、卒業対策委員会のメンバーと学校側で、会場探しや、プランなどの検討を開始しました。
最終的に、池袋のサンシャインプリンスホテルの大宴会場で、立食形式の謝恩会を開催することになりました。
「午後4時半までに終わらなければいけない」から、謝恩会の開始時間は、午後1時半となりました。
また、フォーマルパーティだから、制服ではなく、それなりの服装をすることになるので、支度する時間が必要ですし、池袋までの移動時間も考えなければなりません。
家が近い子は一旦帰宅する、遠い子はホテルに移動して着替えるなど、実際の移動や支度のシュミレーションをした結果、支度と移動に2時間半は必要という結果が出てきました。
となると、遅くても11時には学校を出なければ間に合わないということで、卒業式は午前10時半までには終了させるということになりました。
午前9時に卒業式を開始して、1時間半で終了ということなので、卒業証書の授与は、担任の先生がクラス全員の名前を読み上げ、クラスの代表者が壇上に上がって、全員分の卒業証書を受け取ることになりました。
また、来賓も紹介だけで、挨拶は一切なしということになりました。
それでも、校長先生の祝辞、在校生からの送る言葉、卒業生からの答辞は行うことになり、校歌、君が代、蛍の光、仰げば尊しは歌うことになりました。
さて、1982年3月11日、卒業式の当日になりました。
朝学校に行き、予定通り9時に卒業式がスタートしましたが、みんな気持ちは「謝恩会」に飛んでいて、気もそぞろという感じ(笑)
卒業証書授与もクラス単位で8回だけだから、あっという間に終わり、結局卒業式は10時半より少し前に終わってしまいました。
一旦教室に戻り、卒業証書が各自に「配られ」ました(爆)
自分の卒業証書を手にした時、3年間が走馬灯のように駆け抜けていきました。
学校との約束通り、3年間で無事に卒業出来たことはそれなりに嬉しかったけど、一方で、学校に行ったのは半分程度で卒業したから、ちょっとした罪悪感のようなものも感じて、複雑な心境でした。
もうこの教室に来ることが無いのだなと思うと、寂しさも湧いて来ましたが、そんな気持ちを振り切って一旦帰宅し、この日の為に買ってもらったワンピースに着替えて、池袋に向かいました。
会場に着くと、みんなしっかり着飾って、しっかりメイクもしていてとても綺麗!私は着飾ったけど「スッピン」でしたから、正直とても羨ましかったです。
予定通り1時半に謝恩会はスタートし、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、3年間の思い出のスライドを見たり、先生や同級生たちと談笑したりして、楽しい時間を過ごしました。
お世話になった先生方全員から、卒業生に対する祝辞があり、それはとても心に響きました。
一年生の時の担任の「ファンキー」な英語の先生、二年生から三年生の時の担任の先生に、改めてお礼とご挨拶をしました。
そうこうしているうちに、3時間の謝恩会は、あっという間に終わってしまいました。
謝恩会が終わった後、真っ直ぐ帰宅したかといえば、もちろん「No」です。
もう40年近く経っているので暴露してしまうと、担任の先生とクラスのみんなで「養老の滝」に行き、二次会をしました。
確かクラス全員が参加したと思います。
先生も黙認状態で、未成年だけどお酒を飲んで1時間半くらい楽しみました。
急性アル中だけは出してはいけないから、流石に三次会はなし(爆)
ここで解散となりました。
学校ではクラスメイトとはあまり交流はなかったけれど、ある意味、高校3年間でこの日の思い出が一番強烈かも知れません。
ここから、大学に進学する子、短大に進学する子、就職する子、専門学校に進学する子、浪人生活を始める子、それぞれが新しいスタートを切ることになりました。私の波瀾万丈だった高校生時代も、これで幕を降ろしました。
これで、高校生時代のお話は終わりにしようと思います。
学校の記憶よりも、病院やアルバイトの記憶の方が圧倒的に多い3年間でした。
まあ、この学校に入学しなければ、留年か退学を余儀なくされていたと思うので、有難かったなぁと思いますが、一方で「やっぱり普通の高校生活を送りたかったなぁ」と、寂しさも湧いて来ます。
色々な経験を通じて、今の私が造られているし、後悔したところでどうにもなりませんから、しっかり受け止めていくしかありませんね。
〜続く
今日はここまでです。これで高校生時代編は完結です。
次回からは、暗黒時代〜八方塞がり編をスタート、第58話:新たなスタート 〜 寮生活の始まり に続きます。
私の人生ストーリは、まだまだ続いていきますが、これからも過去としっかり向き合って行こうと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪