【Story of Life 私の人生】 第56話:進路決定
こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
前回の記事は、 第55話:鎌倉遠足 をお送りしました。
今日は、高校卒業後の進路を決めた時のお話をしようと思います。
三年生も残り半年となった10月に入り、担任の先生と卒業後の進路について話し合う個人面談がありました。
他のクラスメイトは、大学進学、短大進学、専門学校進学、就職など、それぞれ具体的な目標を持っていたのですが、私の場合は、大学の薬学部進学を完全に諦めた状態で、ただ「高校を卒業する」ことだけが目的になっていて、その面談の時点では、卒業後について全く考えていませんでした。
先生から「卒業後、どうするのか?」と聞かれても、「さあ…どうしましょう?」と、まるで他人事状態(笑)
呆れた先生は「じゃあ、何をするか一緒に考えるか」と、歩み寄ってくれました。
まず「進学か、就職か」のどちらかを選ぶことになりました。
その時点で既に10月。
就活するのは、時期的に既に遅かったことと、私が何をやりたいのかが、全く明確でなかったことで、学校側としては就職斡旋は出来ないということでした。
どうしても就職するなら、自力で探すか、就職浪人するしかないということで、就職という選択肢は消えました。
となると、選択肢は「進学」ということになります。
「何をやりたいのか」と聞かれて考えてみましたが、出てきたのはやはり「薬剤師」でした。
でも、理系の必要学科は一切履修しなかったし、もし本当に薬学部を受験するなら、卒業後に予備校に行くなどして、受験に必要な学科を全て学ぶ必要があります。
当時の我が家には、予備校に通わせてもらえるような財政的余裕は無かったし、高校の授業料ですら「自分で払え」だったのだから、予備校の学費は自分でアルバイトで稼ぐしかありません。
アルバイトをすると、それなりに長時間働く必要があるから、受験勉強に専念するのは、とても不可能に思えました。
そんな状況を考えると、大学受験は現実的でないなと思えてきました。
そうなると、残る選択肢は、短大か専門学校です。
当時、女子の4年制大学進学は少なく、短大進学が殆どでしたが、文系の学科は元々好きではないから絶対に無理だし、やりたくない事で2年間費やすのは絶対に嫌でした。
理系の短大は無いし…
となると、最後に残るのは専門学校です。
ハードルは一番低そうだし、選択肢はかなり多くなりましたが、一体何が自分の希望に近いのか、その時には全く思いつきませんでした。
通常、進路面談は、1人あたり1時間かそれ以下だったのですが、私の場合こんな状態だから、ここまで導き出すまでに2時間くらい掛かってしまいました(汗)
そこで、短大、専門学校の中で、自分でどんな学校が考えられるかを調べることになり、翌週に再度面談をすることになりました。
学校帰りに「学校ガイド」みたいな本を買い、それを眺める日々が始まりましたが、気持ち的には、やっぱり「薬剤師」に執着しているから、なかなかやりたいことが見つからず…
正直「困ったなぁ」と思っていました。
そんな中でも、少しだけ興味が沸いたのは「福祉心理」でした。
文系だから、少し頑張ればなんとか行けそうだと思ったのですが、当時は東北福祉大学の4年制大学しか選択肢が無く、「仙台の大学なんて論外!」と、流石に両親から受験の許可が出ませんでした。
そうこうしているうちに、先生との2度目の面談まであと1日になってしまいました。
「明日までに、何らかの結論を出さなければ!」と焦る私。
授業の合間の休み時間中、学校ガイドとずーっと睨めっこしていました。
その時突然、校内放送が入り、職員室に来るようにと呼び出しされました。
クラスメイトから「お前、何やらかしたの?」と揶揄われる中、正直ドキドキしながら職員室に行くと、進路指導の先生と、担任の先生が待っていました。
そして先生方から、進路について驚くべき提案がありました。
学校側でも、私の進路に関して心配してくれていたようで、私の希望を踏まえて色々と調べた結果「内部疾患者用の全寮制職業訓練校」で、「臨床検査技師養成所」があるということが分かったということでした。
「薬剤師では無いけれど、医療系の専門学校だから、考えてみたらどうか?」というご提案でした。
その時点では「臨床検査技師」は全く想定外だったので、目から鱗状態の私。
とりあえず学校ガイドで「どんなことを学ぶのか」を良く調べることにして、翌日返答することにしました。
但し、心臓病、腎臓病、呼吸器疾患のいずれかに該当しないと入れないので、私の病歴で入学資格があるのかどうかを調べる必要があり、学校からすぐに問い合わせを出してくれることになりました。
職業訓練校だから、当然学校ガイドには載っていないので、他の臨床検査学校の授業内容などについて、全部目を通してみました。
検査技師は、血液検査、細菌検査、生化学検査、病理検査、脳波や心電図などの検査をするという仕事で、私にとってはかなり「馴染み深い」ことだったし、勉強する内容も面白そうに思えました。
家に帰って両親に話しました。
学校は都内だけど、全寮制の学校だということも説明しましたが、今回はすぐにOKが出ました。
翌日学校に行き、先生方に「受験資格があるなら、受験したい」とお話ししました。
一方、先生からは、問い合わせた受験資格についての回答を聞きました。
バセドー氏病による心臓肥大で入院した履歴はあるけれど、それは「心臓病」とはならないとの回答だったそうです。
「なんだ、折角やる気になったのに、残念だったな…」と思っていたら…
「喘息」はれっきとした呼吸器疾患だから、病歴証明が出来れば受験可能とのことで、願書一式を送ってもらえることになったとのことでした。
11月に入ってすぐに、応募書類一式が学校に届きました。
喘息の病歴証明は、子供の頃に毎日お世話になっていた内科の先生にお願いすることになり、久しぶりに以前住んでいた先生のお宅の前を通りました。
小学生の頃の辛かった4年間の記憶が蘇りましたが、一方で「過ぎ去った日々」が懐かしくも思えました。
病人しか入れない「職業訓練校」だから、願書の提出は区役所の福祉課を経由しなければならず、そういう意味では手続きがかなり面倒でした。
いちいち区役所に行くことになりましたが、幸い区役所はアルバイト先の郵便局の隣だから、そういう意味ではラッキーだったのかも知れません。
何度か書類の審査があり、不足書類の提出などをして、12月に入って、やっと受験許可が出ました。
年が明けて、1月の後半に学校説明会があり、母と一緒に参加しました。
この職業訓練校の仕組み、なぜ全寮制なのか、学費、寮費に関する詳しい説明がありました。
「臨床検査技師養成所」は、職業訓練校だけど、ちゃんとした専門学校として認可されており、就学は3年間。
卒業時には、臨床検査技師国家試験の受験資格が問題なく取れ、専門学校卒業としての卒業証書がもらえる。
職業訓練校だから学費はなし、教科書や白衣などの教材費は一部負担のみ。
寮費は特に無く、食費だけは必要で、収入に応じて支払金額が決まるとのことでした。
寮の部屋も見学させてもらいましたが、病院の病室と同じ作りで、5人部屋。
カーテンで仕切る形になっていました。
まあ、病人しか入れない学校だから、みんなその状況にかなり慣れている訳で、私も特に何とも思わなかったです。
余談ですが、私の場合は、父が現役の地方公務員だったから、食費負担は一番高かったのですが、それでも教材費と食費を合わせても月に2万円くらいでした。
両親としては、全寮制だから不安も無かったと思いますし、また私が家を出ることで、部屋を広く使えるようになって、内心嬉しかったのではないかと思います。
話を元に戻します。
入学試験は説明会の2週間後の2月中旬で、筆記試験と作文?と面接でした。
筆記試験は、どんな問題が出るのか分からずかなり不安でしたが、職業訓練校だから、受験生は現役の高校生ばかりではないので、正直なところかなり易しかったです。
ただ英語だけは「医療英語」の単語しか出なくて、分かったのは「赤血球」と「細胞」と「癌」くらいで。
後は全滅でした(笑)
入学後に同級生に聞いてみたら、みんな同じような感じだったので、安心しました。
作文は、志望動機と将来の目標についてを原稿用紙5枚に纏めるというもの。
面接は、先生方3人とお話しするという感じで、結局丸1日掛かりました。
合否発表も区の福祉課経由となり、試験から1週間後に郵送で送られてきました。
無事に合格出来たので、提出書類が沢山同封されており、また区の福祉課経由で入学に関する必要書類を提出することになりました。
最初の進路相談の時からたった4ヶ月の間で、思わぬ形で卒業後の進路がスムーズに決まっていきました。
薬剤師では無いけれど、まさか医療系の専門学校に進学することになるとは、全く思ってもいなかったのですが、他の臨床検査技師専門学校だったら、まず入学試験に合格することは出来なかっただろうなと思うと、かなりラッキーだったと思います。
学校が決まった時点では、新しいチャレンジにワクワクしていましたが、数年後にどん底に落ちることになるとは、全く想像出来ませんでした。
入学後については、後日詳しくお話ししようと思います。
〜続く
今日はここまでです。
次回は、第57話:高校卒業 に続きます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪
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