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【Story of Life 私の人生】 第62話:緊急入院

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第61話:基礎実習スタート をお送りしました。
今日は、前回少しだけお話した、緊急入院についてのお話をしようと思います。
この入院は、ここから3年間に及ぶ「八方塞がり」の始まりとなりました。

11月に入ってから、最初の通院の日の前日のこと。
その日の夕方、扁桃腺が腫れて39度の高熱が出てきたのですが、その時点では「風邪でも引いたかな?」程度に考えており、風邪薬を飲んで布団に包まっていました。
そして翌日、熱が下がらない状態でいつも通りバイクに乗り、春日部の病院に向かいましたが、道中少し辛くなり、道端にバイクを止めて休憩しながら、2時間弱でどうにか病院に到着。
診察を待つ間に、具合はどんどん悪くなっていき、そのうち待合室で座って居られない状態になってしまいました。
看護婦さんにお話しして、処置室のベッドで寝かせてもらい、診察を待ちました。
その間に、看護婦さんが主治医の先生に状況をお話しして下さり、とりあえず至急扱いで血液検査をすることになり、検査結果が出たところで診察となったのですが…
その結果「緊急入院」することになってしまったのでした(驚)

結論から先に言うと、病名は「無顆粒球症の疑い」で、要は「白血球が殆ど無い状態」になってしまっていたのでした。
ご存知の通り、白血球は身体のバリア機能の要なのですが、私の身体には「戦う戦士」が殆ど居ない状態だから、普通に漂っている菌にやられてしまったようです。
このまま放っておくと、臓器不全になってしまう可能性が高いということで、緊急入院という判断になったようです。
この症状は、私が服用していた抗甲状腺薬の中で、症例がかなり少ない副作用として記載されているものでしたから、治療しながら副作用かどうかの確認をすることも必要になりました。

まさか入院することになるとは、夢にも思っていなかったから、晴天の霹靂状態!
当然何も準備してきておらず、入院保証金も手持ちでは支払えない状態だったので、とりあえず家に電話をして、母に状況報告しました。
その時点で、既に夕方になっていたので、母が翌日保証金と下着の着替えを持って病院に来てくれることになり、病院の方にその旨をお伝えしました。
ちなみに、パジャマは病院で「入院着」を貸し出すシステムになっていました。
入院に必要な湯飲みやお箸、ティッシュや洗面タオル、歯ブラシなどは、売店で調達しました。

次に寮に電話をして緊急入院する旨を伝え、学校に電話を転送してもらい、担任の主任講師の先生に状況説明をしました。
その当時は、携帯電話もインターネットも無いから、お付き合いしている彼を電話口に呼び出してもらい、入院することになったと話をして、次の日曜日に私の部屋からラジカセを持ってきてくれるようお願いしました。

「菌ウエルカム」状態になっていたので、個室の無菌室で隔離状態で、2年ぶりの入院生活がスタートし、まずは抗生物質の点滴投与が始まりました。
夜になっても熱は引かず、悪寒はするし、全身の関節が痛くて眠れる状態ではなく、扁桃腺が腫れているから、水を飲むのも辛くて…
流石に我慢の限界状態になり、ナースコールで看護婦さんを呼びました。
夜勤の先生を呼んでくださり、解熱剤を点滴に加えてくれました。

「こんな状態で、よくバイクを運転して無事にここまで来たな」と、朧げに考えていました。
今考えても、よく交通事故を起こさなかったなと思うと、自分の無謀さが恐ろしいです。

翌日のお昼ごろ、母が病院に来てくれ、正式に入院手続きをしてくれました。
主治医の先生に連れられて、下着の着替えや、日持ちしそうなご飯のおかずを持って、部屋に寄ってくれたのですが、無菌室だから「防護服にマスク」という、何とも仰々しい格好で現れ、逆にこちらがビックリ!
主治医の先生から、状況の説明や、今後の検査・治療方針について、お話しをていただきました。
かなり高い確率で、抗甲状腺薬の副作用が考えられるので、まずは薬の服用を1週間中止してみるということと、同時進行で、抗生物質を投与して、菌の感染を抑えていくということでした。
入院期間がどの位になるのか聞いてみましたが、状況に応じてどうなるか、現時点では分からないと言われました。
高校生最初の入院は、最終的に4ヶ月だったから、もしそこまで長引くようであれば、学校は確実に留年になってしまうのだろうなぁと、気分が真っ暗になりました。
勉強も、実習も楽しいから、1日でも早く学校に戻りたいという気持ちがとても強かったです。

母は、先生のお話を聴き終わるとすぐに帰路につきましたが、帰しなにまた「穀潰し」と言い残していきました。
今回は個室の入院だから、かなり費用が掛かると思ったのかも知れませんが、「ああ、またか…」と、とても悲しくなったことを覚えています。
後日談ですが、治療の一環での個室利用だったので、結果的に差額ベッド代は一切掛かリませんでした。

今回の入院は、無菌室で完全個室だから、当然ですが主治医の先生が回診で来てくださる時と、看護婦さんが来てくれる時以外に、誰とも話すこともなく、何とも言えない寂しさがありました。
病院は、家からも寮からも遠いから、お見舞いも週に1回程度で、社会から完全に阻害さてしまったような錯覚を覚えた位です。
一つだけラッキーだったのは、病院でテレビを貸し出ししてくれた事でした。
おかげで朝から晩までずーっとテレビをぼーっと観て暇を潰すことが出来ました。

1週間が経ち、主治医の先生から経過を教えていただきました。
高熱は37度台まで下がり、白血球数は正常値下限の半分くらいまで回復しました。
その反面、甲状腺ホルモンの値はかなり悪化してしまいました。
まだ完全に熱が下がらないことと、白血球数が正常値に程遠いということで、あと1週間同じ処置をすることになりました。
2週間掛かって、やっと熱が平熱に戻り、扁桃腺の腫れも治りましたが、今度は甲状腺の症状が悪化してしまい、主治医の先生が、また頭を抱えてしまいました。
色々と検討していただき、結果として高校生の時最初に使っていた薬を試すことになりました。

この薬は、全身に蕁麻疹が出てしまい、アトピーを悪化させた薬ですから、その時の副作用の状態を覚えていたから、あまり気乗りはしなかったのですが…
最初の1週間は、薬の量を少なくして服用したのですが、副作用としては軽くて、少し痒くなる程度でした。
でも甲状腺ホルモンの値は全く改善されなかったので、次の週から毎週薬の量を増やしていきましたが、正常値に戻る前に案の定、全身の蕁麻疹とアトピーの悪化!
痒みと痛みに1週間耐えましたが、副作用の症状は改善せず(泣)
ただ、白血球数は正常値の半分より下にはならなかったので、少し手前の分量に減らして、更に1週間過ごしました。

入院から1ヶ月経ち、蕁麻疹が少し出る状態だけど、白血球数は正常値の半分をキープし、甲状腺ホルモンの値も正常値より少し高い状態という「折衷案」状態になり、退院して暫く様子を見ることになりました。
入院時、マイバイクで病院まで来たので、退院時は駐輪場に置いてあったマイバイクの荷台に荷物を積んで、寮に戻りました。
12月になっていたから、かなり寒かったけれど、外の新線な空気がとても清々しくて嬉しかったです。

1ヶ月ぶりに寮生活に戻り、授業に戻ることが出来た時、とても幸せな気分でした。
が、所詮「折衷案」状態だから、体調は万全である筈は無く…
この後も、ずっと苦しむことになっていくのでした。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第63話:試行錯誤の日々 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪


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