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おばさんであることを肯定して生きる

2年前に書いた記事が下書き状態のまま保存されていて、結構おもしろいなと思ったので公開します。筆者は46歳になりました。

44歳になった。立派な中年だ。白髪も増えたし、ほうれい線も気になる。体重も、30代中ごろまでは何を食べても一定の体重をキープできていたのだけれども、放っておくと増加してしまう。

20年前の髪肌ツヤツヤもっちりな頃比べれば、くしゃっとしてしまっていて、ビジュアル面では精彩を欠くようになってきたことは間違いない。

とはいえ、自分を年齢で卑下したくないな、とは思っている。年を重ねたからこそ得られる経験値というものが確かにあって、それは誇れこそすれ、貶められるようなものではないはずだ。

就職して、組織内でのあれやこれを乗り越えたり乗り越えられなかったり、いい恋愛も、悪い恋愛も経験し、何回もの離別を経て、出産し、いろいろな人間関係にぶちあたり、災害に遭遇し、逃げられない育児、親の介護、さらに不動産やら車両の購入、法人の設立…といういろいろなことがあったが、いまのような未来は、若い頃には決して想像できなかった。

なので「XX歳だからこう」という考え方からは一歩身を引いて生きてきたつもりだ。年は取れば取るだけいいもんだ。

しかし世間の一般の価値観では「女性にとって年齢を重ねていることはマイナスにしかならず、年齢の情報は隠すべきものだ」とされていることが少なくない。私の「年は取れば取るだけいいものだ」という考え方とこれは相反する。

「おばさんじゃなくて、おねえさんでしょ?」

先日、娘とママ友との会話で、それを痛感させられるようなやりとりがあった。

私は38歳で娘を産んでいて、今40代中盤に差し掛かったところだ。

20代後半から30代ぐらいの方が多いママ友たちとは若干年が離れている。しかしママ友というくくりになると、20代から40代ぐらいの女性が皆平等に扱われる。私44歳、ママ友32歳、と干支一つ離れていても、同じ「ママ友」。ちなみに今32歳の人は平成生まれである(!)。就職氷河期世代とリーマンショック世代である種苦境を乗り越えてきた同士とはいえるのかもしれないが、数字だけ見てみたらこりゃ全然違ういきものと言っても過言ではない。

ある日、娘を保育園にお迎えに行った帰り道のこと。同じマンションに住むママさんと娘さん(かりにあやちゃんとする)と一緒だった。

子供というものは恐ろしくて、ありとあらゆることを大人に伝えたがる。口を閉じておくことができない。

我が家の個人情報は娘の拡声器を経て保育園のお友達の親御さん全員に伝わっていく。「おとといディズニーランドにいった」ぐらいならまだいいんだけど、「ママはX JAPANが好き」「家族でプロレスを見に行った」(個人の嗜好をさらさないで〜)とか「ママは社長」(確かに肩書きはそうだけどあまり喧伝したくない)ぐらいになってくると、ちょっと勘弁してや…という感じになっていく。

先日誕生日を迎えた私について、保育園の帰り道に娘が「昨日でママ44歳になったんだよ~~~」と、同じマンションのママさんにいう。先方は「よかったね〜」と合わせて盛り上げれたんだが、さらに娘が続けた一言で、場の空気は微妙なものになった「あやちゃんのママは何歳?」

一瞬凍り付く雰囲気。とはいえあやちゃんママは、私より相当お若そう。「ん~、じゃあおばちゃん30歳ってことにしておく~」。

サバ読んで30歳か。お若い。

と私が思ったところに、娘がかぶせるように言った。

「おばちゃんじゃないでしょ、おねえさんでしょ」

「(おお…)す、すみません…。娘ちゃん、相手に聞いていい質問とそうでない質問があるんだから…」

いくら私自身が年齢にこだわらないといっても、世間一般で年をとっていることはあまり好ましくないこととされていて、女性に年を聞くのは失礼にあたることとされている。ここはたしなめるべきだろう。半ば義務的にではあるが、娘を制止した。

「世間の普通」と「ママの普通」はちょっと違う。その違いを子供に伝えるのはなかなか難しい。

さらに今の娘の発言からすると、娘も「おばさんであることはよくないこと。おねえさんであることの方がいいこと」と考えているようでもある。そんな価値観教えてきたつもりはないんだけどね…。

そういえば、私も以前、知人の小学生の娘さんが、自分を「おばさん」と呼んだ私に対し「おねえさんでしょ?」と嗜めてきたことがあった。昨今の女子には「おばさんと言った人に対しては、おねえさんと言い直す」という礼儀があるんだろうか?

その日、あやちゃんのママとはちょっとぎくしゃくしたまま別れた。

その「おばさん」に侮蔑の意図はあるか?

そもそもおばさんという言葉は悪い言葉なのだろうか。

ステラおばさんとか、スプーンおばさん、というような「おばさん」の使われ方は、単なる呼称としての言葉で「中立」だ。

一方小学生の男子が、女性に対して侮蔑する意味を込めて「おばさん」と呼ぶのは、これは悪い意味での「おばさん」だ。

私自身は、30代後半の頃一人称に「おばさん」を使うのには抵抗があったのだけど、さすがに40代中盤となった今は自分を称するのに「おばさん」を使った方がしっくりくるようになったと感じている。

言葉は、どのようなタイミングに、どのような意味を込めて使うかで、ニュアンスが変わっていく。このあたりの意味を、丁寧に子供に伝えていかなければならないんだろう。

使う人自身が「しっくりしているかどうか」が言葉選びの鍵を握っているように考えている。

いくつになってもお祝いしたい!

年齢の話に戻すと、最近目からうろこのこんな話もあった。

夫には、生まれたときからアメリカに住んでいる友達がいる。ご両親は日本人だが、アメリカ育ちの仲のよい三姉妹だ。

その三姉妹の、末の妹さんの方のインスタに、家の前に「XX is 50!!!」と大きく手書きされた旗が掲げられている写真があげられていた。お姉さんが、妹の50歳の誕生日にあたり、「いもうとが50歳になったで~~~」と、近所の人にでっかくお伝えしているのである。

50歳という絶妙な年齢。一般的には女性の年齢が若い方がよいとされている日本では絶対に、絶対に見られない光景だ。「○○が50歳になったで~~~!」と旗ひらめかせて近所の人に伝えるなんて光景は、日本のどこを探しても見つからないのではないか。

日本であれば、60歳以降、10歳区切りで、あとは80歳以降に卒寿だ米寿だ喜寿だ…とお祝いはするけれども、あくまで身内だけのもの(60のお祝いだけはちょっと違った色合いがあるが)。

きっとアメリカという国では、いくつになってもバースデイはうれしいことなんだろうな。自分の年齢を卑下しないで済む考え方が一般的なんだろうなと思わされた出来事だった。

年齢を隠さねばならぬことにより受ける不利益もある

そうそう。女性が年齢の情報を隠さなければならないことは、ビジネスの場においても、不利益を被る原因の一つとなっているような気もしている。

年齢の情報は、コミュニケーションにとってそこそこ重要だ。年をとっているのがいい、悪いではなくて、その人のバックグラウンドを知って会話を進めるために、年齢は情報の一つになる。その人がどの時代を生きてきたのかによって、できる話は違ってくるからだ。

どんな映画を見てきたのか、どんなゲームに触れてきたのか、漫画は?芸能人は?価値観は…?

生まれた時代で少しずつ見えている景色が違ってくる。しかし、ビジネスの界隈で、年齢を知られることをためらう女性たちは、それだけでコミュニケーションの道具を一つ取り上げられているようにも感じている。

夫の友達のインスタの写真に影響を受けたことは間違いない。
私も自分の年齢について包み隠さず話そうと思う。
昭和53年生まれ、就職氷河期育ち、ただいま44歳。

年齢に合わせた成熟した大人になりたいと思う今日この頃なのだった。

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