愛について考えたこと
私はフラワー・チルドレンの名残で、ずっと若い頃から愛こそすべてだと信じてきた。
愛が人間を開放し、愛の中でこそ人間は完全に自由になると信じてきた。
古今東西、恋愛論は数多あれど読むまでもなく先に書いた通りの素朴な愛に関する信念を長年抱いてきた。
愛は自己犠牲である。でも本当の愛ならばそれが喜びなのではないか。森崎和江氏の詩の本の表紙にだって「愛することは待つことよ」と書いてあったし。
でも「虎に翼」で寅子が「結婚は罠だ!」と叫んだのを聞いてから、私は愛も「支配のための罠」ではないか?と思い始めた。
自己犠牲を強いる愛は「愛の牢獄」ではないか?そこには人間の全き自由は実現されていないではないか?愛に非対称性があっていいものだろうか?完全なる自由と対等が実現しなければ理想の愛と言えないのではないか?
ここで男女の別を書かないのは、自己犠牲の愛は男女によらず谷崎潤一郎の「春琴抄」のような例があるからだ。
谷崎の「春琴抄」の愛は美しく純粋で悲しい。でも私の理想の「愛」は喜びの愛だ。解放の愛だ。
民主主義と同様、未だ実現されていない愛は、実現の努力を継続していくことで「結婚」「家族」「家庭」の問題を解決していく糸口になるのではないか?とこの春の夕暮れに考えたのである。
最後に究極の「支配のための愛」は愛国心ではないかとも…