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平野啓一郎氏著「富士山」を読んで
平野氏のかつての作品にあった浪漫主義的な雰囲気はなく、現代的なある種無機的な人間関係で構成される物語である。 結婚したくてマッチング・アプリで出会った男女の気持ちのすれ違いや、連れ去り魔から救った女児の感謝もなく当然といった態度に違和感を感じたり、気持ちがすれ違った彼が通り魔から塾帰りの小学生を身を挺して救った代わりに命を落としてしまったことにより彼の本意を二度と確かめる術がなくなってしまったことによる喪失感、のようなある種不完全燃焼のような宙ぶらりんな気持ちを抱えた主人公がマッチング・アプリで交際していた男性と行くはずだった旅行をなぞって行ってみるが彼の気持ちに近づいた訳でもなくやはり宙ぶらりんの気持ちを抱えて帰路につく。 その帰りの新幹線から見えた富士山の威容が彼女の胸に迫り、寂しさを抱えながらも旅行に来てよかったと思うのであった。
圧倒されるような富士山の存在感に彼の死を大きな地球の営みの一つだと思えて納得したのかも知れないと思いつつ私の心もカタルシスが得られずドラマティックではないドラマをなんて呼ぶのだろう?と考えたさきにあったのは、日本近代文学の小説だった。