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「浴槽」ジャン・フィリップ・トゥーサンを読んで


「されどわれらが日々ーー」と並行して読んでいた。

引きこもりのパリジャンの話かと思っていたら、「されどわれらが日々ーー」と同じく青春のさなかにあり、死すべき人間の長い猶予期間をもて余すという物語だ。

「浴槽」の主人公は、自分がいずれ死ぬことで、死刑囚の死刑執行までの猶予期間のようでありながらそれは長すぎると感じている。何事にも意味を見出だせない。「どうせ死んでしまうのだから」

彼はバスタブで一日の大半を本を読んで過ごす。

崇高なき日常を生きる
大文字の他者の不在
自由ではあるがシニカル

十行前後で改行され番号を付された文章は、ツイッターを読み慣れた身にとってはとても読み易い。きっと初版が出された頃には斬新だったのだろう。

この「どうせ死んでしまうのだから」という苦悩への処方箋は「バスタブから出ること」、「果てしなくアンニュイな日常を倦まず生きること」、「現実を受け止め格闘をすること」と言っているような気がする。

2024.5.16読了

後に思いついたこと。彼は退行現象によって、バスタブという新たな子宮を発見したのだ。そして、「バスタブから出た」という最後の一文はあたかも二度目の誕生を果たしたかのように輝かしい。
おめでとう!


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