2016/02/18 過疎地の"村八分”について...
わたしは 都会生活で 心身が極限まで疲弊した。
ノイズの無い大自然に囲まれた環境で音楽制作をする目的で
奈良県吉野郡の山奥 天川村へ2014年12月 移住しました。
観光客目線で移住した当初は 大自然スペックの心地良さに包まれていた。
静寂に包まれた清浄な空気、高くて広い空、
夜は満点の星空、真夏はクーラー不要、熱帯夜でも気温は16度...
申し分ない 住環境であります。
ところが、実際に地元民として生活してみると
現地特有の社会構造や住民意識が 密接に関わって来ることに気づきました。
1 人口と介護保険料について
人口は約1,500人。
少子高齢化に拍車がかかり毎年人口は減る一方。
2015年の総人口推計では1,360人。
自治体税収が少ないにもかかわらず、介護保険料が日本一。
2 産業について
戦後復興時に栄えた林業も今は廃れている。
当時の植林は人手不足で野ざらし状態。
手入れの行き届かぬ樹木は あちらこちらで倒壊している。
3 村民意識と"村八分”について...
大自然に憧れ 移住してきたものの、イザ現地へ移住してみると
大自然の美しさとは真逆の、「人間の闇の部分」を知る事になった。
地縁、血縁が全くない状態で移住したので
とりあえず、村民の話すことに傾聴することからスタートした。
「◯◯さんのこと 大嫌い」
「◯◯さんは 村八分」
「◯◯さんは 村八分どころか村十分かも知れない」
「◯◯さんとは つき合わないほうがいい」
「◯◯さんは 離婚したらしい」
「◯◯さんの息子さんは 未だに結婚していない」
「◯◯さんは結婚したのにもかかわらず子供を作っていない」
とにかく 人にたいするネガティブ話題がハンパない。
どうやら 各集落ごとの小さい派閥で群れているようだ。
酷い姿だ...お世辞にも 美しいとは言えない。
このような 毒にも薬にもならぬジャンキー情報を貪り喰う姿は
仏教で説く 餓鬼に等しいのではないかと、自分は思った。
村八分という言葉自体を 今ひとたび おさらいしてみましょう。
楳垣実が説くところによると、『地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいうもの』とされる。
村八分は 子供の世界で起こり得るイジメと同じ構造。
自分がイジメられたくないが為に、群れて誰かをイジメて安心感を享受。
とても悲しい。
4 過疎地の村八分について...
少子高齢化、人口減、産業活性化が鈍化している村で発生する「村八分」
村八分そのものにも、勢いが無い。
山口県周南市で2013年7月に発生した 連続殺人放火事件が脳裏によぎる。
これも「村八分」が発端であった。
いずれにせよ「村八分」は非生産的な行為なので、
なにもプラスは生まれない。
やればやるほど、将来が損なわれる。
未来に咲かせる花の種を蒔くことなく
ただ、ひたすら イジメいやがらせ 噂話を貪り喰う日々を重ねていると
気づけば 取り返しのつかぬ地獄になっていると予感した。
5 人も環境の一部である...プラス土壌にはプラスの人が集まる
高知県へ移住して活動されているブロガー ヒビノケイコさんの
「ああ、人も環境だったんだ」という言葉が 深く自分の心にささります。
参考記事「移住してみたけど この場所良くなかったんじゃ?」
群れない。派閥に属さない。村八分の価値観を捨てる。
腐った言葉の溢れる場所に 将来はない。
新風の吹く 清浄な土壌へ移動する選択余地があると痛感。
停滞、我慢の日々は 自分の魂を傷つける。
寸分先を予測できぬことを楽しむ旅のように生きる。
バックグラウンドは 今の場所なのか、新たな場所なのか...
日々死に往く時間のなかで ケースバイケースで取捨選択していこう。
最後まで お読みいただき ありがとうございます。
三寒四温の候 みなさん どうぞ 御身体 ご自愛くださいませ。
感謝 拝