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世の中は常ならず

仏教用語で無常という言葉があります。
永遠不変のものはないということです。
大企業に勤めたら安泰とか寄らば大樹の陰というのも
今の世の中移り変わりが早すぎて何が大樹かさえも
分かりかねるような時代です。

今日アイシテルといった彼が明日は違う人に
アイシテルというかもしれないし、
結婚していてもいつかはどこかで何等かの別れが来る。

それを覚悟していると、甘えが減るというか
今目の前にいる人との関係をないがしろなくなります。
私たち夫婦は知り合って33年がたち、結婚して29年がたとうとしています。
結婚する前から肝に銘じたのはこの言葉です。

夫に限らず、いつ誰と縁が切れてもおかしくないと
当時から思っていましたので
大切に出来る縁は続くように努力をしようとしてきました。
昔は新年のあいさつや暑中見舞いなど欠かさず送ったものです。
現在はすぐにメッセージ出来ますので
ゆるく、メッセージをする、SNSに反応をする、
など関わるということに
無理はしないけれど積極的であると思います。

今日生きている人が明日生きているとも限らない。半世紀も生きてこれば、そういうことも頻繁に起こってきます。

若い頃、友人の自殺からこの無常という教えに導かれました。
日本に帰国時にできる限り会える人に会っているのもその考えが奥にあるからです。
努力しても切れる縁は切れるし、薄くなる縁もあります。
また復活する縁あもりますね。
自分の力、努力だけではままならないのが無常です。

不慮の事故は起きるし、地震や災害は起きるし
私たちの微力でどうにもならないことは
世のなかにたくさんあり、その分悲しみもたくさんあります。

ただ、無常ということは
その悲しみも永遠ではない。
ということです。

私たちは変わっていけるのです。

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