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50代独身女が、2025年に掲げた目標とは #22
50代になってから
これまでと違う対応を受けることが増えました。
例えば
ショートヘアにイメチェンしても
誰からも触れられず
ひたすら仕事の話しかされなかったり
職場の雑談に加わっても
私の目を見て話そうとされなかったり
投げかけた言葉に反応されなかったり
そのうち
チャットやLINEにイイネ!が付かないことにすら
強い疎外感を感じるようになったりして。
これって
私が自分で年を取ったことを
僻んでるのかなあという気づきもありますが
明らかに最近急激に老化した外見が
若い人たちが多い職場や仲間たちの間では
私の姿が
景色でいう枯れ葉レベルになっていて
存在感が薄れてるんだろうなあという説を
最近は有力視しています(笑々)
ここからタイトル回収
「2025年の目標」ですが
数秘で言うと
私の今年の年数は「9」の年。
これは仕上げ、完了の年で
次にやってくる「1」を迎えるための準備をする
大切な年でもあります。
過去の「9」の年はどうだったんだろう・・・?と
振り返って調べてみたら
確かに大きな出来事が良くも悪くも訪れている年でした。
やっぱり数秘って当たるのか・・・。
そういえば
星野源さんが
紅白15秒沈黙したという話題を目にしました。
(我が家にはテレビがないのでネットニュースで知りました)
星野源さんといえば
私にと同じ
「くも膜下出血2回」という共通項があり
勝手に親近感を持って応援しているのですが
私は、これ以外にも死にかけたことが
何度かあります。
くも膜下出血は2回
麻疹で危篤になり家族を呼ばれたこと1回
クローン病で余命2週間と言われて入院1回
正面衝突事故が1回 ・・・
これらが必ずしも
「9」の年に起きているわけではありませんが
いくつか含まれているのです。
併せて
芸能人著名人の訃報や世界の戦争ニュースを見るにつけ
毎日、どこかで、いつも何かが起きているし
こうして無事生きて生活できていること
やりたいことが自由にできる手足があって
好きなものを食べて
あったかいお風呂に入ったり
お布団でスヤスヤ眠れることは
全然当たり前じゃないんだなあと思うし
年を取ったからと言って
鏡を見ていちいち落ち込むなんて
贅沢な悩みだね
と思えるようになりました。
今を自分の思う通りに生きることができる人は
たぶんとても少なくて
それだけでも十分ありがたい。
あと一つ欲を言ってもいいなら
年を取るたびに
「希望」も増えていけば
最高じゃん!とも感じていて
元旦はそんな気持ちを持って
初日の出を見て
初詣に出かけて祈願してきました。
そこで今年の目標、
2025年から生きるテーマを
「死ぬときが絶好調」に決めました。
今デスクの前に貼って、毎日眺めています。
年を取るほどに
健康も、金運も、仕事も、趣味も、人間関係も良くなる、
死ぬときが一番絶好調だと決めておけば
老化を気にするどころか
希望が持てる生き方ができる!と感じたからです。
そして、私みたいな人間でも
そんな風に生きている姿を見てもらえれば
誰かの希望になるんじゃないかという
傲慢な心も、少しあったりします。
この気持ちがいつまで続くか分かりませんが
せめて、2025年一年間だけでも
この気持ちが継続できるように
60歳に向けた目標を立てて
コツコツ生活していこうと思います。
死ぬときが絶好調なら
あともう少し時間があるかなと。
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