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生き物としてのヒトのナリに沿うとはどういうことか
このパートナーシップのマガジンではヒトという動物のオスとメスの生物としての違いを元に書いています。
全部のオスが絶対こう、全部のメスが絶対こう、という決めつけではなく動物としての基本DNAに添うとこういう傾向がありますよっていうお話しです。
私たちは今、自分たちも動物なんだということを忘れるほど、原始的な暮らしとは程遠い環境で暮らしています。
なんですが、やっぱり我々はヒトという動物のオスとメスで、その生き物としてのDNAの基本構造はヒトが誕生してから現在まで少しづつ変わっていても劇的な変化を遂げているわけではありません。
劇的な変化を遂げたのは主に環境の方です。
どんなにヒトが進化したと言えどもやっぱり群れで生きる習性は変わらないし、稼働するのに必要な栄養素や睡眠時間も大幅に変わっていないのだし、体毛だって完全にはなくならないし、生殖だって同じ方法でやるわけです。
もう狩りに行かなくてもいいけど目はそんなに退化してないし、乗り物があるからすごく高速で移動できるけど走るスピードが激しく遅くなったとも思えない。
二足歩行になってめっちゃ経ってるのにいまだに骨盤と胎児の大きさが合ってなくて出産は大変すぎるし。
もちろん背が高くなったり顔が小さくなったりしたし見た目も随分シュッとした。
筋肉が軟弱になったりもあるだろうし身体能力は太古よりはずっと劣っているのだろうけども。
それでもヒトがヒトであることはそこまで変わってなく、マイナーチェンジの域を出ていない。
でも暮らす環境はどうでしょうか。
長いこと洞穴に住んで、狩りをして木の実を採って食べていた。
まあそれは本当に初期のころだけれども、定住し稲作が始まりというところから、徐々に徐々に変わっていった。
ある程度までは変わるといっても緩やかに長い時間をかけて変化してたように思います。
はちゃめちゃな変わり方をしたのってこの100年ぐらいじゃないかと思うんです。
共同体が破壊されて分断が推し進められて核家族になっていった。
もちろん何世帯もの大家族で暮らしたり村や町の共同体で暮らすのは今とは全く違う大変さもあっただろうけど、本当の本当はそれがヒトとしてのナリには沿っていると言えます。
ヒトという動物は本当は群れで生きる習性だし単品で子育てできるようにはなっていないからです。
でも今では単品世帯でも、なんなら一人でも生きていけるぐらいに簡単に食料調達が出来てインフラも整って、もろもろのサービスは充実して、テクノロジーが飛躍的なレベルでUPして、ついにインターネットが登場したのでそれを使えればだいたいの事知れて、しまいにはその端末を一人一台持つことになったわけで、親指をちょっと動かすだけでだいたいのことが事足りるようになった。
アナログにヒトとヒトとがつながりを持たなくてもある程度(あくまである程度ですよ、精神衛生上どうかという問題はまた別なので)快適さを伴う生存が可能なようになったってことです。
そのぐらい、環境の方はナリから離れた。
これはもう洞穴時代の出発点からするとフルモデルチェンジというレベルではないかと個人的には思います。
ナリに沿ってないから昔みたいな暮らしをしましょう!ということではなくて、環境がとにかく大幅に変わったということが言いたいのであり。
だからね、この環境のフルモデルチェンジぐらいヒトも変わったって錯覚が起きるんだろうなって私は思うんです。
「男とか女とかいう【考え方】古い」みたいな。
もしくは、この環境の変化みたいにヒトのオスとメスも変われるはずだとかね。
でも私たちは動物であってDNAの設計図は進化に応じて変化はしても、フルモデルチェンジすることはないんです。
フルモデルチェンジしたら、もう別の生き物なんだもの(笑)
だからね、どんなに現代的な【考え方】を持っていたとしても私たちはそのぐらいヒトとしてのオスとメスのサガからは逃れられない部分があるということが言いたいのです。
でね。
私がいつもパートナーシップのご相談を聞いていて思うのは「オスもメスも自分たちが随分違う生き物だということを知らない。同じだと思って同じスペックを求めるからいざこざが起きる」ということです。
かくいう私も知らなかったから、やっぱり「なんでやねん!?」と思うことがありました。
今はないんです。マジで。
やはり我々ヒトもその自然のナリに沿うと本当に物事がスムーズです。
「ナリに沿う」という言い回しは私がよく使う表現で、本来の性質に沿うとか、本質のままにとかそういう意味です。
例えば馬に走ることを禁じて紐で繋いで肉ばっか食べさせるとする。
これは馬という動物の自然の状態ではないわけです。
馬としてのナリに全然そってない。
馬は馬らしく、駆け回って草をはむのがイキイキすることは誰でもわかることで。
しかしこれが現代、「男は男らしく、女は女らしく」というと急に怒られるんだよね…。
いや、わかってますよ、その意味は。
確かに我々ヒトは動物であっても馬の様に暮らすわけにはいかないし、社会的な生活を無視して原始的に暮らそうと言いたいわけではないのです。
現代社会に適応しつつも、自分たちの生き物としてのナリに沿うとより自然でスムーズだよっていう話がしたいだけです。
たぶんね、「男はおとこらしく、女は女らしく」と聞くと怒る人がいるのは、女らしくと言われると、なんか夫の後ろに下がって三つ指つくじゃないけどさ、大人しくしてろみたいなことを言われると感じるんじゃないかと思うんですよね。
じゃあ女は社会進出しちゃいけないの!?とか、女らしい出で立ちじゃなきゃいけないの!?とか、おしとやかでしおらしくいないとならないの!?とか、なんでもいいんですけども、全くもってそんな意味じゃないんですね。
誰も大人しくしろとか、全くそんな話をしません。
そういうことこそが、本当の男らしさや女らしさを知らないという原因なのではないかと思います。
ヒトのオスとメスの生態の詳しい違いなんて誰も教えてくれなかったもんね。
だから知らないでイメージだけで捉えるとおかしなことになりやすいんです。
そんなことをまず念頭に置いて本題に入ろうとしたらちょっと長くなったので続きます。
続く。