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心配してくれる存在と 先生という仕事 2024年6月1日
昨夜遅くに帰ってきた息子と話していたら、新鮮な風がサッと吹くような感覚を味わいました。
息子と話していたのは、単に仕事での出来事について、私の見解を聴きたいということだったので、そのことについて、少し話し込んでいたのですが、帰ってきた目的が、翌日使う車を取りにきただけだったので、私と話すのは予定外の出来事だったわけです。
話し始めが夜中の12時を過ぎていたので、話している途中に、息子が一緒に暮らしている彼女が心配して電話してきました。
息子は、その電話に出て、今少しお母さんと話しているからといって、もう少ししたら帰るからと答えていました。
普段は「かあちゃん」と呼んでいる息子が、彼女には「おかあさん」という言葉を使っているのも面白いと思いましたが、私は、帰りが遅いと心配してくれる存在に感動しました。
母親が息子の安全を心配するのは、本能としても当然でてくることですが、一緒に暮らしているとはいえ、他人の安全を心配してくれる存在の大きさを、目の前で電話を受けている姿を見て事実在るものとして感じられたということが初めての体験だったのです。
なにかしみじみと、本当にありがたいものだなあと思いました。
願わくば、次男坊にもいつかそんな存在ができてくれるといいなあと思いつつ・・
もういたりして(笑)
母のお役目はこのようにして軽くなっていくんですねえ。
その分、老いた両親と、体に不調の出始めた夫が控えているのですが、責任は子供ほど感じないので、気分はとても爽やかです。
昨日息子と話していたのも、子供を心配するお母さんの話でしたが、母親はみんな本能的に鬼子母神なんだという話になりました。
親にとっては子供はいつまでも、ただ一つの弱点であり、正気を失わせてしまうものであり、でも、だからこその、この世につなぎとめてくれる錨でもある。
そして、先生という職業は、どんな時にも、そんな親からも、社会からも、完璧な対応を求められる。
対応を誤れば恨まれる。おそらく一生。
そう、理不尽なことをされた記憶は一生消えないものです。
どんなに気を付けていても、どんなに熟練しても、失敗することはある。
本当に難しい仕事だと思います。
それは、単に勉強を教えるのではない、子供の一生の人格を形成していくことを手伝う仕事なのだから、難しいのは当然なのですが‥
どんなに、今の時代が、先生に対するイメージや尊敬が昔よりも低くなっていても、先生という仕事の難しさや重さは決して変わらない。
人を育てるという内容に変わりがない限り。
だからこそ、先生という仕事は何にも増して、尊い仕事なことだなあと。
社会は今一度、認める必要があるでしょう。