戦時中を生きてきた育ての母との暮らしはいつも驚きの連続だった
突然ですが私の家は一般的な家庭よりは少しだけ変わっています
生みの母が二十歳の時に私を産み、産む前から父親に逃げられた為経済的にも精神的にも参ってしまった結果
生みの母の生みの母である幾久子(きくこ)さんが私を養子として引き取って育ててくれることになったのです
(これはアメブロにも書いたりよく口にしてるので知ってる方は知っている)
幾久子さんは若尾家のお嬢様育ちで、小さい頃はお手伝いさんがお家にいてあれこれやってくれてて
休みの日にはお父様が、弟二人を差し置いて街へ幼い幾久子さんを連れ出しアイスクリンを食べさせてくれたりなんかする贔屓っぷりだったとか。
娘の私から見ても伸び伸びと自由でワガママで、不思議な魅力を持つ女性であります
さて物心ついた頃には私は若尾家の末っ子として育っていました
上には歳が離れたちょっと気難しいお兄ちゃんと、これまた歳が離れてるけど若くて可愛いと評判のお姉ちゃん
そして、わたし。
基本は幾久子さんと私のふたり暮らしでした
【確か私がかなり小さい頃には通っていた男性(お父さんと呼んでいた)がいたのですがこのクソジジイが、おっと失礼口が悪いですね訂正します、、このクソ変態ロリコンクソジジイが3歳児くらいの私に性的虐待をしやがったので無事に廃棄処分となった記憶があります。
このクソ変態ロリコンTHE・あたおか異常者についてはあまり良い描写ができないのでいずれまた。】
幾久子さんは破天荒だし無茶苦茶な人だったが、よく笑いよく人を笑わせ素直でチャーミングで、男にモテた
御年8○歳になった今も皆に可愛い!と言われてるので、ある意味まだ幾久子さんのモテ期は続いているかもしれません。
そんな幾久子さんのとんでもないエピソードが山盛りあるので少しずつnoteにも書いていこうと思います
まず、幼少期の記憶から。
幾久子さんは料理が苦手…基礎がわからない、調べない、料理本など信じないタイプだったようで、数々の創作料理をこしらえていました。
基本うちの食卓に出てくるのは炒めもの。
なぜか本格的な中華鍋を幾久子さんは愛用しており、それで常に炒めものやら目玉焼きやらを作っていました
しかし手入れを怠っていたようで
作る全てが中華鍋のサビ?が移って黒くなる。
黒い炒めもの
黒い目玉焼き
黒いベチャベチャしたチャーハン
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