アトリエ孤路庵研究所
実は漫画家を目指していた若かりし高校生の私は、やんわりと美術大学を目指すようになった。
県内の国立大学の教育学部に進学し、教師になって欲しいと願う母の大反対を押し切り、小さなアトリエに通い出した。アトリエの思い出を一つ一つ書き出すと、ちょっとやそっとでは読むことのできない超大作になってしまう。それくらい、濃ゆい時間を過ごした。
「アトリエ孤路庵研究所」は都心の美術予備校とは全く異質の絵画教室(研究所)なのだが、教えてくれるS先生は私の人生で出会った奇人の中でも3本の指に入る。どのエピソードもパンチがありすぎて、どれか一つを抜き出すということが難しのだが、今回は軽めにリンゴの話を。
アトリエに入るとまず、円柱、四角柱、円錐等の基本的な立体を紙で自作し、それをデッサンすることから始まる。同じモチーフを、先生がよしと言うまで永遠と1ヶ月程度かけてデッサンする。ここで脱落する人も数名。(ちなみにモチーフを作るだけで1日かかる)
精神的におかしくなりそうな登竜門を無事抜けると、待ちに待った有機物デッサンへ。何ヶ月も書き続けた円柱等にプラスして、リンゴが1、2個追加される。もちろんリンゴは、自分でスーパーで「よい」と思ったものを買ってくる。
まずはリンゴと円柱の配置から始まるのだが、配置を決めるだけで半日、エスキースだけでもう半日、画用紙に移れるのはその次になる。
そしてまた、先生がよしと言うまで書き続けることになるのだが、1週間、2週間と書き続けるうちに、リンゴの様子がどんどん変化していく。私のリンゴは、徐々に頭部がへこみ、変な汁が垂れてきた。おとなりさんのリンゴは、表面に張りがなくなり、シワだらけになって小さくなっていった。皆、リンゴの生涯を俯瞰しながら画用紙にその姿を描画していくのである。セザンヌにでもなった気持ちだ。
そしてやっとの思いで終わらせた後、役目を果たしたリンゴはそのまま焼却されると思いきや、先生はリンゴの最後を見届けたいと言うのだ。そしてしおしおのリンゴが、石膏像(この時はヘルメス)の周りに並べられるのである。同時期にリンゴを描き終わった人が数人いるのだが、順番に石膏像の周りにリンゴが並べられ、リンゴの一生を視覚的に一望できる空間が出来上がる。
S先生は言った。
「リンゴには2種類のリンゴさんがいて、しおしおにおばあちゃんになっていくリンゴさんと、シクシクと涙を流すリンゴさんがいるんだ。」
この後、リンゴは乾燥して化石化していくのだが、最終的には石膏像デッサンをする上級者の手により処分、もしくは本棚に並べられるのだった。
おしまい。