2度目の人生はゴミ箱だった
前回の記事で、私の通っていた地元香川県の小さな絵画教室(研究所)「アトリエ孤路庵研究所」での出来事を記述した。
今回も、引き続きアトリエの話をひとつ。
S先生は物を捨てられない症候群なのだが、捨てられないどころかさまざまな物を拾ってくる。拾ってきては、棚の上や石膏像の周りにオブジェとして展示し、ゆくゆくはデッサン、着彩のモチーフとなる。年々増え続ける謎のオブジェ(モチーフ)により、1週間前に描いていたデッサンの続きを描くためには、自分のモチーフを発掘するところから始めなければならない。
先生はさまざまな物に魅了され、意味を見出していく。紙の切れ端、みかんの皮、変形したペットボトル、謎の鉄の塊、お菓子の箱等、先生の目には全て美しいアート作品として映っている。今思うと、私が石ころを拾うことと全く同じである。ただのトイレの便器やパーティーのゴミをアート作品としてコンセプチュアルに展示し論争を巻き起こす現代アートとは全く異なり、ただ純粋に、その物を美しいと思い拾い集めている。意味なんてない、必要ないのだ。
今だからこそそう思えるのだが、当時の私はアトリエにどんどん人の入り込めるスペースがなくなっていくことに憤りを感じていた。
そして、事件は起こった。
ついに人が歩くのに支障をきたし出したのだ。
行手を阻むのは、何十個ものお菓子の空き箱。最初は数個しかなかったお菓子の箱は、みるみるうちに増殖し、私の目指すテーブルにたどり着くにはいくつものお菓子の箱をクリアしながら進む他なくなってしまった。なぜお菓子の箱を床に置いているのかというと、鉛筆を削ったりちょっとしたゴミを捨てたりして、そのまま正規のゴミ袋にポイっと投げ込めるからだ。これは便利、と小さなゴミ箱に感動もしたのだが、それをそのまま捨てようとしたところ、先生がそれを制した。
「まだ、この子にはこの子の役割がある。」
先生はそう言って、私からお菓子の箱を取り上げた。
お菓子の箱は先生の手によって中身を抜かれ、再びゴミ箱として輪廻転生し、新たな人生を歩み出すのだった。なんとも世知辛い、はやく楽にさせてくれ。
そうやっていくつものお菓子の箱がゴミ箱に生まれ変わり、人生を再スタートさせていった。そして増えすぎた小さなゴミ箱の大群により、100円均一で購入された正規のプラスチックゴミ箱は肩身の狭い思いをしていた。
「先生、ゴミ箱が増えすぎたので、半分捨てませんか?」
私と、同期のKは先生に懇願した。
だが捨てられない先生は、お菓子の箱にも真っ当なゴミ箱としての人生を全うして欲しい、と言うことを聞かなかった。正規のゴミ箱があるじゃあないですか、と寂しそうにしているプラスチックゴミ箱を指差し、プラスチックゴミ箱の気持ちになって再び懇願したのだが、先生は聞く耳を持たなかった。それどころか、なんとプラスチックゴミ箱をひっつかみ重ね出したのだ。
「ほら、これでスペースがあいたじゃない!」
先生はプラスチックゴミ箱よりも、お菓子の箱を採用したのだ。プラスチックゴミ箱はあえなくリストラ、下克上である。予想外の結果に同期のKは唖然として言葉も出ず、そのまま自分の机に戻ることになった。
お昼過ぎ、先生は別件の仕事でアトリエを開けることになった。私とKはお昼ご飯を食べながら、小さなゴミ箱の大群を眺めていた。そして何を言うでもなく、ふたりは小さなゴミ箱を両手いっぱいに持ち、隣の畑に運び、そして燃やした。(今は条例で畑といえどゴミを焼却することは禁止されているのだが、当時はアトリエで出た燃えるゴミは、隣の畑で燃やすことになっていた。)ついでに、先生が大量に本棚に飾っていた「いい形のみかんの皮」も、溢れすぎてデッサン中に落ちてくるので、わからない程度に間引いて燃やした。
お菓子の箱から見た私とKはどのように映っていただろうか。やっと人生を終えることができると安堵していたのか、それともゴミ箱として新しい人生を歩みたかったのか。
今となっては謎である。
おしまい。
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