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地上0.005メートルの浮遊感

ある日、足の裏から足首、ふくらはぎにかけて、鈍い痛みと気だるさで目が覚めた。筋肉痛にも似ているこの痛みに、当の本人は全く身に覚えがない。金縛りのようななにかとてつもない力が、私の両足にまとわりついているのではないか。もしや深刻な病か・・・と近い将来を想像し青ざめた。

まてよ、よく考えてみろ、この痛みには必ず原因があるはずだ。私は目線を自分の足から部屋へと移した。普段と変わりないように見えた1Kの小さな部屋だったが、よく見ると床に無造作に脱ぎ捨てられたTシャツやズボンが、風呂場まで点々と落ちていた。

そこでようやく状況を理解した。
昨日の夜、私は酔っ払っていたのだ。

私は酔っ払うと、上機嫌で帰宅し、千鳥足で服を脱ぎ捨てながら風呂に入る癖がある。なんて危ない!と人は言うだろうが、ご丁寧に歯磨きまでして寝床に入るので、目が覚めた時に全ての面倒臭い生活習慣をこなしてくれた昨日の自分に感謝さえするのだった。

以前ルームシェアをしていた際に、酔っ払って帰宅した私はそのまま流れるように風呂に入り、同居人といつも通り会話し、歯を磨き、さらに洗濯機の予約までして就寝していたことがある。翌日、洗濯機のピーッという完了音で目が覚めたのだが、その洗濯物が自分のものだとわかって驚愕した。全て同居人から翌日聞いた話なので、私自身は全く身に覚えがないのだ。「もうひとりの自分」というどこかで聞いたようなセリフが頭によぎる。そして「もうひとりの自分」が、酔っ払って大声を撒き散らし、嘔吐し、公衆の面前で転がるような人間でなくて本当によかったと安堵した。むしろ今の自分よりも生活力が高いのではないだろうか。

だが、今回は様子がおかしい。そう、足の痛みである。散歩で歩きすぎた時の痛みに似ているが、そんな優しいものではない。一歩進むたびに、かかとに激痛が走る。昨日の夜、「もうひとりの自分」は一体全体なにを仕出かしたというのだ。なにかとんでもない事件に巻き込まれ、悪い奴らを必殺飛び蹴りでギッタギッタと薙ぎ倒し、世界の平和を密かに救っていたとか。

そんな想像力を膨らませつつ、私は途切れ途切れの記憶を、ひとつひとつ丁寧に繋いでいった。

昨日は友人と西荻窪で夕方から飲みはじめ、”焼き鳥よね田”と”やきとり戎”という、焼き鳥かぶりの居酒屋を梯子した。すでに酔っていたのかもしれない。その後、セブンイレブンの珈琲を片手に荻窪まで歩き、電車で高円寺まで移動し、友人がよく行くというバーに行った。なぜ荻窪で解散しなかったのかは謎である。ふたりともかなりの酒飲みで、もはや何杯飲んだのかわからない。楽しすぎてあっという間に時間が過ぎ、JR中央線の最終電車に飛び乗って帰路についた。

そう、ここまではなんとか覚えている。友人が、酢の物が苦手だと言いながらセロリの酢漬けを食べてむせ返っていたこともしっかり覚えている。問題はここからだ。

南武線の谷保駅にある家まで帰るには、立川駅から南武線に乗り換える必要があるのだが、時刻は00時30分、すでに南武線の終電は過ぎ去っていた。そんな時、私はいつも国立駅で降り、国立駅から谷保駅まで一直線に伸びる大学通りを30分程度歩いて帰宅する。この日も同じく、国立駅で降り、夜風を浴びながら大学通りを闊歩していた。

3月の少し肌寒い夜風が酔っ払った体に心地よく、歩いて帰るには最適な気候だった。だが不運なことに、今日は底の薄い革製のパンプスを履いていた。かろうじて薄い板を1枚挟んでいるだけなので、ずんずんと歩いているうちに案の定足が痛くなり、一橋大学をこえたあたりで立ち止まってしまった。そしてふと自分の足を見つめ、ほぼ地面と同じ位置にある足の裏に思いを馳せた。この靴は歩くのには向いていない、そう思った「もうひとりの自分」は、靴底の薄い少し足幅の狭いパンプスを脱ぎ捨て、靴下一枚で再び一歩を踏み出したのだった。

両手に一足ずつ用無しになったパンプスをぶら下げ、鼻歌を歌いながら、富士見台団地を横目に誰もいない通りを踊るように闊歩した。地面の凹凸と、少しひんやりした煉瓦畳と、少しあたたかいアスファルトの感触が、靴下越しに伝わってくる。私は今、地に足をつけて歩いている。自分の足で立って、自分の足で歩いているのだと思うと、とても気分がよかった。

その反面、先ほどよりも地面に近いところにいるはずなのに、私の足は浮き足立っていた。地面からほんの5ミリメートル、メートル法だと0.005メートル程度、私は地面から浮いていた。スキップをすると、そのままお月様にあいさつできるのではないか、そんな気分だった。まるで今この瞬間だけは、ここに自分しかいないのではないか、という高揚感と浮遊感の中で、「もうひとりの自分」は生きているのだ。馬鹿げている、とこの文章を書きながら笑いもするが、不思議と歩いている時の足の痛みは全く覚えていないのだ。本当に、浮いていたのかもしれない。

たまに酔っ払うと、親しい人に唐突に電話をかけていたり、連絡を取り合っている人に謎のダイイングメッセージを送っていたり、やたら交友的な「もうひとりの自分」に迷惑をかけられながらも、私はそんな彼女に憧れているのだ。彼女になりたくて、自ら酒に呑まれにいっているのではないかとさえ感じる。

なにはともあれ、足の痛みの原因がわかってホッとしたのだが、この痛みは自分への戒めとして1週間ほど私を苦しめた。もうこれっきりにしたい、とその場では固く誓うのだった。


おしまい

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たかはしけいこ
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