アメリカの裁判で無表情は心証悪い…日本の現実社会も同じ
アメリカの裁判を見てると
被告人が揃って
私が無表情なのは
わざと無表情でいる訳ではありません
私が無表情なのは
凶悪犯だからではありません
とにかく
無表情に対しての言い訳をしてる
日本で無表情の言い訳をしてるのを
見た事が無い印象だった
裁判してる場所に
日本だとカメラは入らないので
私も未成年や20代の凶悪犯の
裁判には驚いた
人を残忍に殺しても
釈放されると思ってるアメリカ人は
ずいぶん楽天的だな
と思いました
日本なら終身刑か
社会的に問題になった残忍な事件は
死刑だろう
事件について語る気はないが
ここでの
裁判官の心証
について書きます
この心証とは
日本人も同じ事を考えますね
罪に対してではなく
日常です
無表情について
考えた事がありませんでしたが
人には
やはり表情が乏しいと
陰キャ
感じが悪い
愛想がない
などと思われますね
それは今は多様性であり
色んな人間を受け入れる
なのですが
多様性を受け入れてるアメリカで
私が無表情なのは
〇〇だからではありません
を開口一番言うわけですから
人のふり見て
我がふりなおせ
で
印象操作とも言われるでしょうが…
無愛想な人間を好きな人は
少ないでしょう
愛想と言うより
他表情を
英語より語源が多い日本ですが
頭の片隅に置いておこう
と思いました
無表情じゃない事は
無料ですからね
挨拶は潤滑油
無料です
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