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映画「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」をアクセス的に見てみる

機内で楽しむ映画は基本、マーベルものが多いのですが・・・
今回は気楽に見れるものを見終わってしまい、ちょっとハーディング事件のことを思い出したので気になってみてみました…

が、辛かった~~~

ファシリテーターとして、彼女がツールを持っていたら乗り越えられるチャンスはたくさんあったのに…と思わずにはいられませんでした。

自分自身のギフトをもっと認めてあげられていたら。
他の人が、誰が何と言おうとも、自分自身のギフトを認めてあげられていたら。

そして毒親。
されど家族、たかが家族です。
逆じゃなかったとしたら?
「家族は愛し合うもの」という【巷の常識】という名の幻想に囚われて、自分がハッピーになることから遠ざかっている人がどれだけいるでしょう?

「親は子供を愛するもの」というよくわからない【巷の常識】を鵜呑みにして、そのように定義された【愛情】を自分のパートナーにも適用し…
映画の中では母親からの虐待を元ダンナにも適用させてしまい、一緒にいても貢献になりもしないオトコと離れられないでいましたよね。

あと、他人からのジャッジメント。
人がいくら自分を非難しようが、自分に憧れようが、それはその人達の勝手なんです。
自分に対する他人のポイント・オブ・ビューなんて、100人いたら100通りあります。
いちいち相手に合わせて一喜一憂する価値がありますか?
自分自身であることには、自分のギフトに、他人のポイント・オブ・ビューやらジャッジメントは全く関係がないとしたら?

当時のトーニャ・ハーディングにアクセスのツールがあったらなぁ~などと思いながら見てました。

この本「ビーイング・ユー、チェンジング・ザ・ワールド」に、その辺がいろいろと書いてあります。
ご参考までに…


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