ポストコロナ社会で加速するポスト資本主義化

 新型コロナウイルス(COVID-19)の流行は、この日本でも、世界でも、いつ終息するのか、依然としてその見通しすらつかない。パンデミックの歴史をふり返ると、5千万~1億人の死亡者を出したとされる100年前のスペインかぜ以降も、1957~58年のアジアかぜ(死者100万)、1968~69年の香港かぜ(同75万)と、新型のインフルエンザで多数の犠牲者を出してきているが(季節性のインフルエンザでも世界中で毎年25~50万人が死亡している)、今回のCOVID-19が果たしてそれらに匹敵する犠牲者を出すのかどうかはともかく、グローバル化、とりわけ情報のグローバル化が進んだ現在、世界的規模で社会・経済に及ぼす影響はかつてとは比較にならないほど大きい。しかし、同時に今回のCOVID-19の流行が、もしかすると「最後のパンデミック」になる可能性もあるかもしれないと私は考える。

マクロ・ミクロでの人の流れの減少

 それは、COVID-19が終息した後の社会は、よきにつけ悪しきにつけ、また、望むと望まざるとにかかわらず、世界的に政治・経済・文化等、社会のあらゆる分野でそのあり方に変容をもたらし、20世紀末以来今日まで進行してきた資本主義の終焉過程が一気に加速することが予測されるからだ。
 昨年末に中国・武漢で発生した新型コロナウイルスによる感染症は、わずか2ヵ月足らずの間に全世界へと広まった。こうした未知の感染症の発生・流行は、HIVによるエイズ流行の際にも指摘されたように、人類による自然生態系の破壊に関係があるかもしれないが、なんといっても国境を越えた人々の往来が、ビジネス、観光を問わずますますさかんになっていることが大きな要因として作用していることは言を俟たないだろう。日本においても、ここ数年の間に急拡大したインバウンドブームが、ダイヤモンド・プリンセス号の例のみならず、少なくとも感染初期に与えた影響は否定しようのない事実だ。
「2020東京五輪」が予定どおり来年夏に開催できる可能性は小さいと私は思うが、東京五輪の開催有無にかかわらず、ポストコロナ社会において、日本では昨年までのようなインバウンドが復活するとはとても思えない。そしてそれは、日本だけに限った話ではない。世界経済が今後、1929年に始まった世界恐慌を上回る打撃を受けるものと予想されるが、それから回復した後においてもなお、世界的規模において、ポストコロナ社会では人々の国境を越えた行き来は減少することだろう。
 そうしたマクロな人々の流れの減少のみならず、ポストコロナ社会では、もっとミクロな人々の流れと接触機会もまた急減していくことだろう。なぜならそれは、ウイルス感染の忌避という動機だけでなく、ポスト資本主義社会そのものがそういう指向性を内包しているからにほかならない。

リモートワークの常態化と人口の地方分散化

 今回のコロナ禍で日本でも一躍注目されるようになったテレワーク(リモートワーク)だが、私自身がすでに四半世紀以前から行っているのを見れば明らかなように、私のようなフリーランスで働く人間にとって、それは20世紀末から見られた労働形態だ。定時出勤し、上司の顔色をうかがい、職場の空気を読みながら、だらだらとサービス残業をするような旧態依然とした働き方を続けてきた「リモートワーク後進国」の日本でも、今回のコロナ禍を契機に、テレワーク→リモートワークが一気に広がる可能性は高いと思う。
 リモートワークが普及すると、原則的に人々はどこに住んでいても仕事をすることが可能になる。私のようなフリーランスで翻訳の仕事をしてきた者にとっては、15~20年くらい前からそれが可能となり、実際に私は2013年に首都圏から岡山県に移住した。私はたまたま岡山県に移住したのだが、インターネット環境のある場所なら国内でなくとも、世界中どこに住んでいても、仕事をすることは可能だった。9年前の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の放射能事故を契機に、地方、さらには海外へ少なからぬ人々が移住したが、それらの大部分は私のようなフリーな立場で仕事をしている人々、もしくは従来の仕事を辞めた人々であった。そして、大都市圏から地方へ移住する人々は、その後も後を絶たない。
 しかし、雇用労働者であっても、デスクワークをこととする労働者なら、それは基本的に可能だろう。ただ、そのためにはペーパーレス化、ハンコレス化等が必須条件となる。私は一昨年に引っ越しをした際にプリンターを捨て、ペーパーレス化を実現したが、それで大きな不便は全く感じていない。
 雇用労働者(正規・非正規を問わず)にもリモートワークが常態化し、それに伴ういくつかの課題を克服すれば、大都市圏から地方への本格的な人口移動が加速するに違いない。どこでも仕事ができるなら、なにも地価や家賃が高くいうえに住居スペースの狭い家に住む必要がなくなる。満員電車に揺られて「濃密接触」しながら通勤する必要がなければ、多くの人々がもっと広々とした自然の多い環境のもとで暮らしたいと思うだろう。
 それだけでも疲弊した地方経済に税収をもたらすが、移住者のなかには、その後転職し、地元で働く人々も現われることだろう。そうすればさらに地方は活性化する。

公私ともにリモート化が普及

 リモートワークにつきものなのがウェブ会議だ。また、コロナ禍で外出できなくなった若者たちの間では、今「リモート飲み会」が流行っているそうだ。今はスマホやタブレット、パソコンをテーブルに置いて会議をしたり、数人の仲間たちと会話を楽しみながら飲食をする形態だが、VRゴーグルが普及すれば、やがてよりリアルな会議や飲み会が可能になる。
 会社の会議はなにもそこまでリアリティーがなくても、意思疎通さえできれば業務の進行に支障はないかもしれないが、飲み会となると場の雰囲気が全く違ってくるだろう。気のあった仲間同士の飲み会のみならず、バーチャル合コン、バーチャルデートなど、楽しみ方も広がっていくだろう。最初は近くに住む仲間が移動の手間を省くために始めたリモート飲み会、バーチャル飲み会も、やがては遠く離れた旧友との飲み会・同窓会や家族との会食、地球の裏側へ移住した友人や家族との晩餐など、バリエーションが広がることだろう。

AI(ロボット)による人間労働代替の加速

 AI(ロボット)による人間労働の代替と多業種への拡散が急速に進むだろう。
 今回のコロナ禍では、接客業の休業が大きな問題となった。行政が休業要請しても休業補償を渋れば、店はたとえ売上げが激減していても店を開けざるを得ない。一方、食品スーパーやコンビニ、ドラッグストアのように、休業したくてもできない業種もある。そうした店では、レジカウンターに透明の仕切りを設けたり、列に並ぶ客の間隔を広げたり、感染を予防するためにさまざまな対策が講じられた。
 すでに食品スーパーをはじめ、コンビニ等、セルフレジがかなり普及してきている。セルフレジで電子マネーで決済すれば、対面レジで現金払いするより感染リスクは格段に下がる。こうしたことから、大手スーパーやドラッグストア、ファストフード店、ファストファッション店などのオートレジ化、コンビニの無人化の速度が、ポストコロナ社会で一気にアップすることが考えられる。また一方、日本で普及が遅れていた電子マネーも普及に拍車がかかることだろう。
 サービス業に限らない。AI(ロボット)による人間労働の代替(の危機?)が、日本でも注目を集めるようになってすでに数年が経過したが、近未来の仮定として語られていたことが、いよいよ全産業レベルで実現段階を迎えることになるだろう。
 例えば、今回、もっとも感染リスクに晒された医療現場。すでに診断ロボットや手術ロボットは実用化段階にある。今回のコロナ禍では、オンライン診断が特例的に初診にも適用されることになったが、例えば発熱外来やPCR検査もロボットが担うようにすれば、誰も感染リスクを負うことなく患者に対応することができる。
 実は現在でも、人間労働をAI(ロボット)に技術的に代替可能な産業分野は広範囲に存在する。しかし、設備投資にかかる費用と、安価で使い捨て可能な不安定雇用労働者を天秤にかけ、非正規雇用労働者を低賃金で使っている企業が大部分なのだ。しかし、今回のコロナ禍により労働力の確保が難しくなったり、感染者を多く出して生産に影響が出た企業では、今後、生産工程のAI(ロボット)化を真剣に検討することになるだろう。

AI & BI社会の必然性

 そうなると、「AI(ロボット)に労働が奪われる」という脅威が、多くの人々にとっていよいよ現実味を帯びてくる。しかし、心配には及ばない。私は15年も前から、ベーシックインカムの必然性をAI(ロボット)社会と結びつけて論じてきた。すなわち、AI(ロボット)が人間労働に取って代わられるということは、それまで人間労働が生み出してきた価値をAI(ロボット)が代わりに生み出すことになるのだから、もしその価値をAI(ロボット)の所有者が独り占めしたら、AI(ロボット)によって仕事を失った大多数の人々は食っていけなくなり、一方、価値=生産物を独占する会社はそれを売る相手を失うことになる。つまり、そのままでは経済が成り立たなくなるのである。
 その矛盾を解決する唯一の方法は、少なくともそれまで人間労働が生み出していた価値に相当するAI(ロボット)労働の価値を、仕事を失ったすべての人々に基本所得(ベーシックインカム)として保障する以外にないのである。そして、人間よりはるかに多く働き、自らは賃金を要求しないAI(ロボット)からBI相当分の価値を差し引いても、所有者の手もとにはなお多くの利益が残されることになる。
 そして、これがいちばん肝心な点なのだが、日本を除く少なからぬ国々で、今回のコロナ禍をとおして、緊急時の1回~数回という限定つきではあれ、10万円前後の現金給付が行われることである。これは、まさにベーシックインカム(基本所得保障)そのものである。(国民の声に押され、日本も一定要件を満たした世帯への30万円の給付から、1人10万円の一律給付に変更された。)
注:厳密な意味でのベーシックインカム、つまりすべての人に無条件の給付が決定されたのは香港(1人約13万円)とシンガポール(21歳以上の国民、4万5,000円)だけで、アメリカは年収7万5,000ドル(約825万円)以下の個人(大人1,200ドル、子ども500ドル)に、韓国は下位所得70%の世帯(最大約9万円)への支給
 これまで、いくつかの国々や地域でベーシックインカムの社会実験が行われてきたが、それらを凌駕する規模で、今回、図らずも実験を一気に超えて実践がなされたわけである。この経験は、今後のBI導入に大きな力を与えるものとなることだろう。

単身世帯化が進みタイニーハウスカーが普及

 以上は、ポストコロナ社会で21世紀恐慌が落ち着いた後にすぐにも現われそうな社会の変化だが、以下ではもう少し長いスパンでポストコロナ社会を予測してみたい。
 現在、日本では単身世帯が全世帯の約3割を占めている。人口の高齢化、非婚化は今後も進み、単身世帯はますます増えていくことが予測されている。さらに、今回のコロナ禍によるリモートワークで自宅での仕事を余儀なくされた人々のなかには、家族との関係でストレスを抱え、DVや離婚が増加している。こうしたことから、今後、ますます単身世帯化が進むものと考えられる。
 アメリカなどでは久しい以前から、タイニーハウス(小さな家)やキャンピングカーで生活する人が増えている。なかには自動車に繋いで移動可能なタイニーハウスもある。今後、日本でもこのような家に住む人が増えるのではないかと私は思う。1人ないしは少人数家族で暮らすなら、何千万円も投じて立派な家を建てる必要はない。移動式タイニーハウスなら土地所有の必要がないし、家自体は数百万~1千万以下で手に入れることができる。必要最低限の家財道具のみを備えたコンパクトな家に住み、必要に応じて移動することほど合理的なライフスタイルはないのではなかろうか。置き場所は駐車場やキャンプ場のような場所をそれ用に整備すればすむ。都市部はともかく、地方ならいくらでもそうした場所は確保できよう。
 私はCO2排出による地球温暖化という単純な説は信じないが、天文学や地質学的知見から導き出される気候変動の激化予測は信じるに値すると思っている。今後、地球は激しい気候の変化に翻弄されることになるに違いない。そんななか、私は3年前から夏の2~3ヵ月を北海道で過ごしている。冬の2~3ヵ月を沖縄で過ごすのもいいかとも考えている。そうすると、1年のうち半年近くは現在住んでいる家を空けることになる。これはなんとももったいない話である。いっそ、移動可能なタイニーハウスに住めば、1年中移動しながら、最も快適に過ごせる場所を選んで暮らすことが可能になる。
 実は私は、10年以上前に、近未来社会で家と自動車が合体した未来の住居を考え、BIと絡めたSF短編小説を書いたことがあるのだが、私の妄想はすでに現実のものとなりつつあるといってもいいのかもしれない。
 10年、20年後の未来、多くの人々は自動運転機能を備えたコンパクトでデザイン性に富むタイニーハウスカーに1人で住み、ベーシックインカムの支給を受けながら、自分のしたい仕事、自分の能力や適性に合った仕事を、多くはオンラインで行っている。会議はゴーグルレスの3DプロジェクターのようなVRで行い、部屋そのものが会議室に変化する。
 恋人や友人、家族に会いたいときはいつでも会える。毎晩、家にいながら会食や飲み会ができる。それだけでなく、VRで世界旅行、いや、宇宙旅行さえ可能になる。単なる視覚効果だけでなく、五感にリアリティーを与えるバーチャルな装置も開発されるだろう。一日中家にいても、運動不足に陥る心配もない。家にいながら、森林浴や海辺のジョギングを楽しめる。それどころか、お望みなら、仲間と、あるいは初対面の人々とサッカーやラグビーを楽しむことも可能だろう。タイニーハウスといっても、VR空間は無限の広がりを持っているのだ。
 食料等、生活必需品はドローンやロボットがいつでも届けてくれるだろう。そうなると、人々は基本的に外出の必要性がなくなるかもしれない。気候がどんなに激変しても、それに耐えうる設計の家に住めば、最適の温度・湿度の室内で暮らすことができるだろう。
 人々は狩猟社会において家族や小さな集団を単位として洞窟で暮らしていたが、これからの社会では個を基本とする新しいかたちの家にこもりながらも、バーチャルな世界では世界中の人々との関係を取り結ぶことができる。人々は孤独でありながら豊かな人間関係のなかで生き続ける。
 そんな社会で確実にいえることは、人々は感染症から完全に自由になることができるということだ。だとしたら、2020年新型コロナウイルスCOVID-19の世界的流行が、人類最後のパンデミックとして歴史に記録されることになるかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?