中身も外見も全部自分 -序。
このノートをご覧になられる方(ありがとうございます!)は、恐らく私の普段の服装をご存知の方が多いと思うのですが、昔までは知らないでしょうてことで、今回は簡単にファッション遍歴的観点で自己紹介から。
きっと私をご存知の方からすれば「ええ?」ですが、
幼いころはスカートしか履かないような女の子オンナノコしてました。(しかも髪めっちゃ長かったですから!)
が、小学校高学年以降ボトムスはズボンばかりになり、中学生の頃は部活ばかりでUNIQLOの通販をいち早く生活の一部とし。(店にすら行かない)
高校生の頃は気がついたらパーカーばっかりで、それを終えると夏はGパンとTシャツというスタイルをこよなく愛すようになり、それ以外の季節もシャツとデニム、セーターにタイトめのパンツという出で立ちを好むようになり、
という経路を経て、今日に至ります。
正直、あんーまりファッション興味なかったんです。
身だしなみ程度整ってれば良くて、服屋でバイトしながら試着室で何回も試すお客さんに対して尊敬の眼差しを向ける一方、自分は全然試着しないお客さんで。っていうぐらい。
(だからこそお客さんには試着を勧めるという、だめな人でしたw)
膝丈程度のスカートなんて高校生以来着てないし、ドレスは職業(演奏家)柄着るので、全く着ないわけではないけれどプライベートは別。
しかし、2015年の冬、くらいかな。
世間でガウチョやワイドパンツなる代物が結構流行りだして、履いてみなよ!と勧められるがまま履いてみたんです。
それがしっくり来た。
バイト用の服として買ったんですけど、見慣れないながら悪くない。その上周りからも珍しがられながらもなかなか好評だったんです。
ということでそのワイドパンツが私のワードローブの中に加わったことで、「このシルエットだったらマキシ丈(くるぶしぐらいまでの丈)のスカートとかと変わらないんじゃ?ヒラッヒラしてなければ抵抗ないのでは?」という思いがじわっと。
実際着てみたら、なるほどこれも悪くない。
そんな経緯があって、実はロングスカート的なものが2つほどあるものの、京都に引っ越したことでやはりまたパンツばかり着るようになりました。それも暗めで地味めな色の。(トップスもでもやっぱりそうだったかも?)
理由は簡単。
汚れるから。あとスカートは動きにくい。
何せ今まで横浜に居た時は移動のほとんどが電車。しかし京都に行ってみるとほとんどが自転車か徒歩になりました。
徒歩や電車ならまだ何着ててもいいんですが、自転車だとワイドパンツも履けない。リネン系パンツも。
履いてこいでいたら何回か自転車の小さな金具かなにかに引っかかってしまったりして、なるほどこれはダメだ、、と。
前述の通り汚れるから、白のパンツを買うことにすら抵抗がある。日常の一部にはなりにくい、と。
勿論明るい色を着る人もいるんですけども、でもやっぱり暗めの色の格好してる人が多いかな?と思います。
(京都に引っ越したの夏だし、今は冬だから、といった季節柄のこともあるのは承知で、一概には言えませんが。)
一方、月1程度で仕事の都合でずっと横浜には帰ってきていて、先日久しぶりにみなとみらいや表参道に行って思ったんです。
みんな全然格好が違う。
特に表参道は、オシャレなお店やオシャレな人が集うから、という土地柄もあるとはいえ、みんな思い思いにしたい格好をしている。若干裾引きずってません?それ、っていうような格好してる人とかもいるけど。笑
でもなんでそれが出来るって、街が圧倒的に整備されていて、綺麗。
そしてどんな格好してもOK、という受け皿の大きさ。
京都だって結構整備されています。鴨川のあたりとかだって綺麗だし、景観がどうのこうの、と言っても、そりゃーコンクリートの一つや2つ勿論あります。
お寺や神社の中はさておき、町中は随分歩きやすいです。
それに着物コスプレして歩いてる人だって居るし、どんな格好したってOKですよ。
でもそれとは、当たり前だけど、全然違う。
色使いもそうだけど、着ている服の形や素材も、土地によって違うんです。何となく服屋バイトをしていた時にもわかっていたつもりではありましたが、実際自分が住んだりしてみると、本当に違う。
京都で「洗練されてるなあ」、「お洒落だなあ」って思う格好して表参道歩いてもそのお洒落さはよく見ないとわからないし、東京でオシャレな格好して京都の街を歩いたら確実に浮きます。
(という点に置いても、あ〜この人観光だな、ってほぼわかります)
ドレスコード、とまではいかないけれど、それに近いものがあるんですね。
都会(東京)の人も、パリとかニューヨークの人たちの色使いを見るとそれよりは地味だなって思うし、でもパリのおばあさまがあっさり着ちゃう鮮やかな色とはまた違う種類の明るい色を、大阪のおばちゃんが着てたりするわけで。
また、年齢によって、あるいはライフステージ?によってチョイスする服も変わってくる。
今私は25歳で、それまでもずっと若いうちしか着られないなと思っている服がいくつかありましたけど、そのへんは興味がなかったので素通りしてきたんです。ミニスカ的なものとか。本当に興味がなくて。(未だに興味ない)
でもそろそろ、そうやって傍観者やってたらすぐに30歳なる、と気がついた。
私はどちらかというとさっさと年取りたいんですけど、でもいざその「年を取った」状態でどんな人間でありたいか、とか思うと、そろそろ私も傍観者やってたらダメかな。ーと、突然思ったんです。
それは多分、今の自分だから似合う服が自分にあって、それを着て確実にキリッとする自分の心に気がついたからかな。
ロールモデル、とまでは言わないけれど、すっごく素敵な60代の女性がおりまして。その人はとても60とは見えず、先日も黒のタイトなパンツに黒いTシャツという出で立ちだったんですけど、それがものすごくかっこよかった。
なんでかっこよく見えたって、その人の内面がにじみ出てて、その内面がカッコイイから、なんでしょうけど、隙がないかっこよさじゃなくて、肩の力が抜けていながら、ものすごくシックなかっこよさだったんです。
スポーティー?な格好なのに。笑
確かに、TシャツやシャツにGパンは好きです。多分この先もずっと。
でもそれって、いくつになってもなくならないし、出来るんだ。その年齢によって見え方は変わっていくけれど。
だったら、そのずっと出来る格好と並行して、今だから着れる服をそろそろ着てみるか、そういう意味での冒険も避けてちゃ面白くないな。という考えに思い至ったんです。
人は住んでる土地や行動様式、生活スタイルによって服をチョイスするし、それらが反映されるファッションって面白いな。だったら反映させてやろうじゃないか、と。
毎日同じTシャツにパンツ、というのび太くん的な生き方も出来るけれど(実は過去にやろうとした)、多分それっていろいろ経験した後でも出来るし、それなら今は今しか出来ない格好、今だから出来る失敗とかしておこうかな。
それはそれで面白いかな。
しかし一方で、中身が伴わないのに見た目だけが先行しちゃうとそれも違うと思います。都会にはそういう人も多いなと感じ取ったのは事実です。
そういう意味では、京都の人たちの格好は身の丈にあっていて、カッコイイと思う。
変に武装してるように見えちゃうんですよ。メッセージ性強すぎって人多いし、ーって考えると、都会って生きるん大変かなとか、思うところはあります。(また後日)
服を着るのであって、着られちゃアカン。
そういう審美眼を鍛える意味でも、まだ私自身の中身に伸びしろがある。
そう気がついて、これを書いてみることにしました。
初回から長いことおつきあい頂きましてありがとうございますm(_ _)m
さて、このノートは投げ銭式にします。
私の自分変革計画(仮)にご協力いただける方は是非衣装代を...☆笑
(貯まるかな?ん〜どうだろう!w)
以上、Kでした。
ここから先は
¥ 200
いただいたサポートは書籍代や何かの体験に使うなど、次の記事の種として大切に使わせて頂きます。応援してみてもいっかなーと思って頂けた際には是非、よろしくお願いします!