可能性を捨てる潔さ
はい、こちらKです。
昨日書いてみて思ったんですけど、思いの外私って喋りたいことがあったようで…。
ということで、今日も書いていきます。
続・ファッションの話。
(今回の「ファッション」は、服の着こなし・着回しがメイン、の予定です)
前回よりは短めですけど7000文字弱あります。ご注意ください。
着回し力抜群=選択肢がたくさんある
よく服を買うか否か迷ったときに聞く(かもしれない)言葉。
「いろんなコーディネートが出来る」
「この服でnパターン出来ないなら買わない」
羽織ものなどは勿論、ボトムスもアウターも迷った際に店員さんからそういう声掛けをされたり、実際自分で自分に言ったりもする、これらの言葉。少なくとも私は今までしてきました。
確かに、いろんなコーディネートをできる、使い勝手の良い服は便利です。
着回しがきく、という言葉は、いろんな着方という選択肢を持っている、と言い換えることが出来るんじゃないかと思っています。
例えば、私の(だんだん減らされてきている)クローゼットにもそういうシャツがあるのは事実。
何なら買ってみて意外と着回しがきくことに気がついて、実際着まくってきました。今でもお気に入りだし、そういう使い方もそうじゃない使い方もする。
案外、買ってみて初めて気がつくようなことってあるもんですし、この服がなかったら私どうしてたんだろう、とも思います。
んがっ。
そうして選択肢がたくさんあることが、正義なんだろうか・・・?
なーんてことが、制服化を考えていく中で頭によぎっているのです。
あ、勿論、それぞれの考え方があります。「着回しがきくって良いよね!」を否定するわけではありません。旅行のときとか少ないワードローブを携えて…ってなったときに、着回し抜群アイテム万歳!てなりますし、それは普段から考えていない人に思いつく芸当でもないです。考えるのって大事。
どちらかというと、そうじゃない考え方に傾倒してるよ、私。みたいなそういう話の回です。先に言っておこ。
「愛しぬけるポイントが ひとつありゃいいのに」
話戻って、着回しがきくのが良いのか、否か。
正直、今の私は「強烈にやりたい!と思う着方があるんだったら、着回し考えなくていいよね」と思ってます。
B'z大先生も「イチブトゼンブ」の中で言ってるじゃないですか。
・・・って。
いろんな選択肢を持ってるって楽しいかもしれないけれど… 今の私は、その選択肢を楽しんでるんだろうか、それとも「この人いっつもおんなじ服着てる」って思われてるんじゃないか、という周りの目を気にしているだけなのではないか、と。
否、私は毎日誰か決まった人と外で会うわけでもないし、どっちかというと「いろんな服、まんべんなく着ないと洋服たちに申し訳ない!」な気がします。あとその洋服を買うためにお金を出した過去の自分に。
・・・結果的に洋服に振り回されてない?執着心MAXでは?
なんか本末転倒な気がしてきたな。。。
着回し考えていたらオールインワンは着れない
…いささか大げさですが、多くの場合オールインワンって着たらそれでオシマイです。それだけで完成。
(「大げさ」と言った理由は、中にキャミソールだとかTシャツなどを着ることを前提にしているものもあるので、その場合はオールインワンだけでは完成しません。ので、いささか大げさに話したな。と思って補足しておきます。)
一方、着回し抜群アイテムは一つだけでは完成しませんが、組み合わせなきゃいけない分、無数の可能性がある。
ハテ。この「無限の可能性」、果たして制服化しちゃいたいと思っている自分に必要なんだろうか。
答えは簡単。
否!!!!
物の整理、断捨離をしたことある方はわかると思う。
捨てる、又は手放すっていうのは、「これが出来るかもしれない」って可能性を手放していくことだ、と。(哲学的?)
そうして物を手放していった結果、手元に残された、限りある「可能性」。
ウーン、それだけでいいんじゃない?自分。
私の着こなし遍歴
実際、過去の自分を振り返ってみると…
小学校は私服で、中学・高校は制服。
周りがスカート短くしたりベストやカーディガンの代わりにパーカーとか着ている中、私は一切スカートも折らず、学校指定のベストを着、高校のときは学校指定のネクタイをしていた。(冬はさすがにユニクロのカーディガンとか指定外のもの着てましたけど)
何故か?
それが一番いいと思っていたから!!!!!!
ーいや、中学のときはそんなに何も考えてなかったです。ハイ。
ただそこに考えるキャパを楽器に使っていただけな気がします。
けど、高校は結構ハッキリ覚えてます。
まず制服作りに行った時。本当は膝隠れるくらいにしようと思っていたが、店員さんに「もうちょっと短いほうがいいですヨ」と言われ、んじゃぁってことで膝半分くらいの丈にしたこと。
そうして作ってもらった服を、そのまま素直に着るのが一番良いと考えたんですね。
そこから崩していくことの何がそんなに良いの?くらいに思っていた。といっても大げさではありません。
当時の写真を振り返ってみると、友達がベージュのカーディガンとかEASTBOYのベスト(懐かしいねー!)を着てスカートを折っている中、私は学校指定そのものの格好をしている。強いて言うならシャツの第1ボタン外してるくらい。
まー、なんの個性もない見た目。
けど中身がそれなりに爆発してたし(今も、か。。)、それでいいな、って思ったし、その制服が好きだった、と今でも思います。
もう少し時を進めて大学生くらい。
某赤い看板のアパレルショップでバイトしていたことは昨日の投稿のとおりですが、それも気に入った組み合わせがあればそれを飽きずに延々と着ていた。
今でも覚えているのは、紺のタートルネックにグレーの8分丈くらいのワイドパンツ、黒タイツの組み合わせ。たまに赤いベルト。
それを特に着崩すでもなく、ただただ着ていたわけですが、それ好きだったなー。
冬場はすんごい連勤でもない限り、ほぼそれを着ていた記憶があります。
更に時を進めて数年前の話。
久しぶりにビビッときたサロペット。
店員さんには「こんな風に重ね着できますよ〜」「これなら真冬でもなければいつでも着れちゃいますよ〜」とオススメされ、確かにーと思って、買いました。
実際、結構着ました。
オススメされた着回し術や、これ組み合わせられるかもーって服をレイヤードしてみたりしました。
でもやっぱりしっくり来るのは一番最初に組み合わせた一つだけだった!!!!
(韻踏んじゃった!)
そしてしっくり来ないものは全然着ない。ちょっとソワソワしちゃう。
なんか下に着たシャツがもしゃってなってないかな… 袖まくりたいけど寒いから出来ないし、でも袖まくり出来ないんじゃこれってバランスとしてどうなんだろう…とか。そんなんは鏡で見とけよ!と思うわけですが。
逆に、一回しっくり来る!って思ったものは延々と着てる。飽きるという発想はあんまりなかった。
強いて言うなら、「これ着まくってるから早々にダメになっちゃうのでは、、、」という生地に対する心配か。
「似合う」と「着たい」
試着したりして冒険はするようになりました。だからこそ、試着してみて「お!?これは良いんじゃない?」も増えました。
けど、最近気が付きました。
似合う!と着たい!の間には、深い溝がある。
店員さんは、似合う!は教えてくれます。たまにただのセールストークの可能性もありますけど、それも見抜けるくらいには成長した、はずです。
けど着たい!は自分しかわかりません。だって自分のことだから。
最初は似合ってるかも!が来るかもしれませんが、その後必ずしも着たい!になるか?というとそうでもない。
逆に見慣れないので似合ってるかわからないけれど、着たい!が先行した結果お買い上げ〜♪の服もある。
一応、私のクローゼットには「似合う」を経て「着たい」になった服たち、又は強烈な「着たい」が詰まっている、…と、思っていたんですけどね。
整理してみると、意外とあるんですよ。
「着たい」がいつの間にか「せっかく買ったんだから」に変貌している服が。
試着室で、またはオンラインショップを前にして良いなと思ったときには、こういう着方が出来る(かも)、こんな着こなししている自分いい(かも)、という可能性に胸膨らませて買うわけです。
まあオンラインショップで買ってみて、実際着てみたらなんか違った、のパターンならまだわかる。けれど、一回試して「良い!」ってなったのに執着へと変貌するパターンは、これなんでなんだろう。
考えてみた。
…。
似合うと着たいを勘違いしていた・・・?
こういう着方が出来る(かも)、こんな着こなししている自分いい(かも)、は、似合うであり、これが似合う自分にはこの装い着こなせる「可能性」があるぜ、って段階なんですよね。
それを私は、「着たい」だと思って買っていることがしばしば
…なんじゃないかなあ、て気がしてきました。
そう、これ書きながら考えてるので、「〜と思う」「〜気がする」など、曖昧模糊としている語尾が多めなんです。基本。
そのことについては断言出来る。
一方強烈な「着たい」はどうなったか?
これが扱いめっちゃ難しい。
一応手持ちのこれに合うな、ってことを着にしつつも買うが、最高の相方(例えば強烈な「着たい」がボトムスの場合、トップスが相方)とはちょっと違う。
その後無事に最高の相方を見つけてメデタシのパターンがあったりする。
すぐ着られる相方がいない服を買うっていうのは大体周囲から止められますし私も友達がそれやろうとしたら一瞬ウーンってなる可能性あるんですけど、買って後悔することが実はそんなにない気がしています。
ってわけで、アイドリングストップしている服を見るたびにすまん、、とは思う一方、着たいが根底にある為相方探しは比較的ラクだし、余念も妥協もありません。
(ただしその数は少ないです。今も1着だけある。)
何で見分ける?「似合う」と「着たい」
ではどうやってこの「似合う」と「着たい」を見抜けるようになるのか?
これの解決策の一つが、前回の投稿で紹介したあきやあさみさんの「コンセプトを考えて、それに沿って制服を作る(≒服を選ぶ)」ってことになるのでは?と考えています。今のところ。
似合う、上で、コンセプトにもマッチするし自分が着たいってなった!
これが揃ったら結構いいのかな〜(ぼんやり)、なんて思っています。
コンセプト、という名のフィルターを作成する… とか書くと、Excelでもやっとんのかと思えてくるので色気は0ですが、まあそういうような考え方はありそうです。
その「フィルターを作る」というのは、裏を返せば当然似合うけれどフィルターに引っかからないものもある。そのフィルターに引っかからないものに関しては選ばないことになる。
自分が選べる「可能性」の範囲を決める、「今」選べるものに関しては限定していく。ということでもあります。
・・・ものすごく潔くない?
いろいろと知った・見た上で自分の完成尖らせまくって決めていく、って、かっこよくない?
「潔い」ってカッコいい
「潔い」を調べてみました。
・・・だそうです。
えー、なにこれ。カッコよくない?少なくとも私は思います。カッコえぇぇー!!
2の「未練がましくない」って、今クローゼットに「着たい!が執着に変貌した服」を持っているっぽいと思っている自分からすると対極にありますけれども。
いーんです、これからなりたい自分ってことでこれからのことを考えていけばいいのだから。
実際のところ、別にコンセプトを決める決めないに関わらず、クローゼットの中にどれだけ服が入っていようと、結局のところは毎日どこかのタイミングで選択を迫られるわけです。
その選択をする時に、ウワァァァ〜〜っと広がる可能性を持っていることに喜びを感じつつ選べるのか、はたまたその選択肢に関しては最初から限定してしまうか、の差。
それにコンセプトだって一生変えるな!って言ってるわけでもないんですから。飽きたら変えればいいし、その都度冒険すればいい。
無限の選択肢から考えるのを、毎日やるのか、たまにやるのか。そのタイミングの違いなわけです。
どこかのタイミングで、やっぱり何かを決める必要がある。
自分のことを振り返ってみて。
高校のときの制服にしたって、いろんな着回しが出来ると思って買ったサロペットだって、結局のところは試着室の時点で自分のこうやりたい!という強烈なひとつの型が決まっていたわけで。
その時に、私には無限の選択肢の中から選び終わっていたんですね、ホントーは。
だから、今後はそれに従えばいいんだなあ、って思うわけです。
・・・そう思うと、エラい直感勝負な人生だ。笑
バディ探し中の服は?
・・・あれれぇ?
それじゃあ、相方探しをしようと思ってクローゼットに眠っている服はどうなるのぉ〜?(CV.コナン君)
…書いていたらそんなことを頭の中のコナン君が言うわけです。
そうだよねー、そこ気になるよねー。
いや、試着した時に強烈な着たい!があって、それは買うんだ!という即決の心が、潔さがあったはず、なんだ。
けど、その時に組み合わせをどうするか、っていうところにはいかなかったんだろうね…。
どうせ最後の1点とかに心踊らされた結果買った、という動かぬ証拠でもあるんだろうね…。
今その服は、相方を取っ替え引っ替えしながら着ています。そう、着てはいるんです。
(一体誰に言い訳しているのか…)
これだ!!!という組み合わせが見つからないってだけで、着回し力はあるんです。そして着るたびにそれなりにルン♪とか思ってるんです。
「着回し力はある」・・・
あれ・・・?
うーん!?
つまりこのルン♪は正義じゃあないっていうのかァァァ・・・!?
否。
別にその服、着回すことを前提に買ってるわけじゃないからな。
どんな人がいいんだろう、私…って思いながら出会い系アプリでいろんな人と出会って喋ってみて、自分のことを理解してる段階だからな。
実際、それを買った時、「こちらのジャケットとセットアップ出来ますよ!」みたいなこと言われた気がしたけど、お金の事情の他に、「この組み合わせで着たいわけではないな」って思って買わなくて。
どっちかっていうと
「俺が、お前に合う最高のパートナーを見つけてやるゼ…!」
というような気持ちでお迎えしたんですよね。いや、まあ着回しても楽しいんですけどサ。
だからやっぱり、書いてて思いました。
私、
たくさんの選択肢の中から最高のバディを見つけて着たい・・・!(そしてたまに交換したい・・・(小声))
潔さの権化 オールインワンを着たい
そう思うと、オールインワンって潔さの権化みたいなもんですよね。
もうこの組み合わせ以外ない。これを着ろ。以上。
…みたいな。
実際のところは羽織を着る・着ない、ストールやマフラーをする・しないとか、その他諸々あります。
が、潔いってカッコいい!とか言ってる私、ストール巻くとかカーディガンを着る、中にシャツを着るなどのレイヤードテクを前提に選ぶのか?
…否!!!!
※但しその組み合わせが最高だと思ったら話は別!
そう思えば思うほど、オールインワンって考え方によっては工夫できること少ないしつまらないかもしれないけれど、潔さの権化!カッコいい…!ってなるわけです。
高校の制服すら「着崩すゥ?ハァ?このまま着るのが一番良いに決まってンだろッ!!」と信じて疑わないような私ですからね。
けど、そのオールインワン、思ったよりもこれってのが見つからない。
まあ知ってる。その理由はこだわりが強すぎるから。。。
このディテールがぁ〜 なんとかがァァ〜(ウジウジ)・・・とか言って買えてないっていう。おいおい潔さの対極にいるじゃねーか。
というか25歳のときの私、そういう理由で服買えなかったっていうのがあったのも思い出した。
けど、今は審美眼を養った上でのこだわりですからね。25のペーペーのときとは違うはずなわけですよ。
し、今別に見つからなくとも、他のお気に入りたち、他の最高のバディを組んでる服たちがスタンバイしているので、着るものはあります。
だからこそ拘れるし、強烈な好きを待つことが出来ます。
…ということで、気長に探しつつ、潔さを(文字通り)身に着けていこうと思います。
もし私がオールインワンを着ていた日には、潔さの権化とでも呼んでください。
サロペットではない、オールインワンを着ていた日には…。
ということで、今日も長くなりましたが、このへんで締めたいと思いまーす。
以上、潔さを身に着けたい!Kでした。
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