【高校野球の思い出】人生のターニングポイント・後編
こんにちは。奥敬基です。
(昨日の続き)
登校拒否から1週間が経ち、そろそろ明日には正式に高校を辞める手続きをしないとなぁと思っていた、その日に転機がありました。
「ちょっと(僕の最寄り駅)まで出て来れる?」という仲間からのメール。
高校から決して近いとは言えない駅まで、ハードな練習終わりに来てくれたのです。
気まずいなー。高校の話されたくないなー。と思いつつ合流。
駅前のマックでポテトを食べながら、聞かれたのは
「最近何してんのー?」や「これからどうしていくのー?」だったり。
あえて学校や野球の話をせずにいてくれた記憶があります。
(高校生ながら、そんな配慮ができる仲間に脱帽です)
そんな中で問いかけられた
「今、何かしたいことないの?」
という一言。
そんなこと考えようともしていなかったので、
うーーーーん。とひねり出した答えが
「久しぶりにバッティングセンター行きたい」
でした。
マックからそのまま歩いて15分ほどの大塚バッティングセンターに移動。
ボールを打てば打つほど、今やりたいことは野球だと気付かされ
今の仲間と高校野球をやるために戻ろうと決心をしました。
その翌日は、(体調不良だったってことになっていれば、大して空いた期間じゃないのにな、、、と母親のことを逆恨みしつつ)
後にも先にもこれ以上ないほどに、周りの目が気になって仕方がない1日でしたが
本当に、戻れてよかったです。
実は、その1週間の間にも
地元の親友(小中時代のキャプテンで、高校は西東京の強豪校)と深夜に素振りをしながら、「一緒に東西で甲子園目指そうぜ」と励ましてもらい
監督さんからも「共に甲子園に行こう」とメールを頂いたり
ドロップアウトするギリギリのところで”甲子園”というキーワードが防波堤になっていました。
当時の自分は、それをお節介だと思って素直に受け取れなかったのですが
今思えば、お節介のおかげで正しい道を歩めていると思います。
人生における宝モノは友人(仲間)だと思っています。
そして友人以外にも、恩返ししたい家族や恩人がたくさんいます。
なので、自分にできることなら力になりたいと常々思っていますし
提供できるものを増やすために、収入を上げて、自由に使える時間を増やして、影響力をつけていきたいと思っています。
そして最後に
世の中には夢や目標をバカにする人もいますが、僕にとっては生きていく上での活力です。
そして人生を大きく変えるターニングポイントになるのは「人」だと思っています。
理想を描き、健全な努力を通じて、夢を現実にしていく。
そんな生き方を望むきっかけを提供したり、伴走していける人でありたいと思います。