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自分と対峙する


めぐみティコさんのnoteを読んだ。
感想文を書くのではなく、そこから自分と対峙してしまった出来事を書くことを、最初に謝罪させていただきます。

身を削って完成されたエッセイ。
覚悟を持ってnoteの世界に放たれたエッセイ。
ティコさんの魂を感じた。



「真っ黒い沈殿物を内包してなお、わたしは満たされている。何も欠けていない」と見せつけてやりたいんです。

ここでそう仰っていた。

めぐみティコさんの産み出す文章が好きで、勝手に拝読させていただいていた、ただの読者である私がここで出すのもおこがましいけれど、ティコさんは何も欠けてないと確信している。
まさしく"みせつけられた"一人である。

『わたしの子宮は胎児を殺す。』
この見出しからかなりの覚悟を感じる。
必ず月に一度やってくる経血に、どれだけの涙を流してきたことだろう。
周囲の喜びが羨み、妬みと変わることへの罪悪感、劣等感にどれだけの苦しみと悔しさを感じたことだろう。
長い不妊治療を経験し、目の当たりにした、認めざるを得ない結果に、どれだけの絶望を抱いたことだろう。
一度はやってきた胎児に、あなたがいなくなるのなら、自分も一緒に消えてしまいたいと思った瞬間もあったのではないだろうか。

そんな真っ黒な沈殿物ごとティコさんであり、それを受け止め、内包してなお満たされていると表す彼女を、同じ女性として生意気にも素敵だと感じる。

弱さは強さだと人はいう。
自分の弱さを認め、受け入れることで強くなれる、と。
勇気を持って弱い部分を公開されたティコさんにそのまま置き換えた。

乾いたセックスを繰り返したいくつもの夜も、奇跡みたいに子を宿していた日々も、二人で重ねた人生の一部として、いつかは穏やかに愛おしむことができるようになるのだろうか。近しい人の妊娠にあたたかい眼差しを向け、翳りの中から出ていくことができるようになるのだろうか。

「わたしの子宮は胎児を殺す」より

翳りの中から出ていくことができるといいな、とは思いながらも、しかしそこに気づくことができるのはティコさんでしかない故に、ここから祈ることと敬意を表すことに留めようと思う。



自分と対峙する

最近の私は変だった。
いや、もともとちょっと人と違って変わってるんだけど。笑。いや、そうじゃなくて。
自分の中で渦が巻いていた。何とも落ち着くところがない、フワフワとした気持ちが空気中に漂っていた。

きっかけは色々ある。
1年とちょっと前に娘を亡くした友達が、仕事に復帰した。同じ職場の方からしたら、やっと戻ってきてくれた、だろう。どう接していいのかな、そんな腫れ物に触る気持ちも大いにあるだろう。それを全部分かった上での復帰。彼女の覚悟も相当のものだと知っている。

この1年ちょっと。私の休みは友達のところに行き、話しを聞くと決めていた。迷った気持ちの時、出口の見えない足掻きを感じときは、私の気持ちを話したりもした。それには「いつもありがとう」という言葉をもらった。「こうしていられるのは、もしかしたら、けいちゃんのお陰かもしれない」とも。

復帰する前のLINEの会話で彼女は、自分をいちばん許せないのは自分自身だといっていた。毎日の生活の中で、沢山の矛盾を自分に感じ、それをまた許せないでいる、と。私はまた思うことで返事をしようとしたが、結局言える言葉が見つからなかった。なにを話しても、きっと彼女は自分を責めることをやめることは無い、と思ったから。そんな彼女の言葉を肯定も否定もできるだけの術を、私はまだ見つけられずにいる。いつ出るか分からない答えを探す、宿題を彼女から渡された気がした。

そんな時、図書館で目に止まった凪良ゆうさんの小説を立て続けに3冊読んだ。
『流浪の月』『汝、星の如く』『星を編む』
深かった。心を抉られた気がした。凪良ゆうさんの世界に浸かって抜けられなくなっていた。

そして、Salyuさんの曲を聞いた。
『HALFWAY』の中の歌詞が引っかかって何度も繰り返し聴いた。

あなたの夢も あなたの声も
あなたのしぐさも 覚えてる
ずっとずっと…。でもね
あなたの心のドアの鍵を持てたら
もし持ってたなら 今でもふたりは…。なんてね、ごめんね。

Salyu『HALFWAY』より

ある映画の主題歌だと知りながらも、
『汝、星の如く』にピッタリの曲だと感じた。

あなたの心のドアの鍵を持てたら…

私の中で、その言葉に引っかかる理由はずっとわかっている。
めぐみティコさんの言葉を借りるなら、私の中に真っ黒な沈殿物があるから。
誰にも言えない、黒い黒い沈殿物が。どんなに後悔しても、思い直しても拭うことが出来ない、拭いたくもない、変えることが出来ない過去と未来を沈めているから。

色んな場面で出会った小さなモヤモヤが集まって、私の中の真っ黒な沈殿物を引っ張り出してしまってから、私の心はずっと浮遊し続け、落ち着くところはわかっているはずなのに、そこにどう落ちていったらいいのか分からず、空気中をずっとフワフワと漂っていた。

そうこうしていると、いや、そうこうしていたからか体調を崩してしまった。
熱っぽい。咳が出る。ボーッとする。頭が痛い。きついな、そう思ったが仕事を休みはしなかった。が、自分に課せられている+αの仕事をしていなかった。

迷惑を掛ける。
誰より頼りにされているマネージャーからの信頼を失ったことに気づいた。決して責めはしない彼女の優しさに私が耐えられず、自分で自分を責める。

色んな気持ちが渦巻く中、人として落ちる所まで落ちたな、そう思った。浮遊する居場所のない気持ちは着地どころではなく、沈殿物ごと更に深くまで沈めてしまった気がした。最低だ。もう上がるしかないということか。
自分に何ができる?どんな自分でいたい?


そうだった。私は何度も落ちてきた。今と同じように自分の中の沈殿物を引っ張り出しては、グルグルと思考を漂わせてきた。そして毎回同じように、最後は今いる場所から上にあがってきた。
沈殿物を底にそっと置いて。

そうだった。どうしようもないことなら、真っ黒な沈殿物と共に生きていくと決めたんだった。これでいい。このままでいい。このまま上を向いて歩こう、と。それこそが自分らしいことだと。

ティコさんのように表にはできないけど、私は私の歩き方で、自分らしく歩ていこう。

全てを抱えて生きていこう。  


きっとまたできる。
今までしてきたのだから。





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