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友達に会いに行く

友達に会いに行く。
友達にとてつもない悲しいことがあってから、ずっと私の休みの日には会いに行く。

最初は心配で心配でしかたなかったから。
家でじっとなんて出来なかった。会いに行ってもいいのか分からないけど、とにかく会いに行こうと意を決して会いに行った。

心配した通りだった。
自分を責めて責めて潰れそうだった。

全部間違いだった、と泣く友達に、とにかく自分を責めて欲しくなくて、あなたのせいじゃないと否定した。

全部間違いだった。
すべて間違ってた。
何もかも間違ってた。

そう彼女は言った。
きっと、彼女に起きた出来事が私に起きていたら…同じことを考えるだろう。
同じように自分を責めて責めて潰れそうになっているだろう。

私にできることは、彼女の話しを聞くことぐらい。
聞きながら、彼女が心の整理をしていくのを見守るぐらい。

聞いていて思ったのは、仲のいい家族でも、やはり話せることと話せないことはあるんだな、ということだった。
なんでも話す、とは言っても、家族全員、彼女と同じように哀しみに暮れているわけだし。それぞれの立場、それぞれの付き合い方での色んな感情があるわけだし。

多分、第三者的な存在の方が話しやすいこともあるだろうと思った。だから、私はずっと会いに行こうと決めたんだ。

手作りのお菓子を持っていく。
買って持っていくことも考えたけど、買ったものって値段がわかるし。わかると気を使わせちゃいそうで、それならと手作りのものをいつも持っていく。
 
もともと、お菓子作りは得意で。思いつくものを家族全員分つくって持っていく。

悲しい出来事があってから初めて、友達に会いに行った時、何も食べられてないのではないかと思って尋ねた。ご飯は食べれてる?と。そしたら答えは、

娘にお供えしたものなら不思議と食べられるの。だった。

それなら!絶対その子の分も持っていかなきゃ!と思った。なので、持っていく時は家族全員分。ちゃんとお供えする分まで計算して。

甘い物を食べる時って、自然と笑顔になるから。
友達に少しでも笑顔でいて欲しくて。そんな思いでいつも作る。

そうしたら、どんどん作りたくなって。仕事場にもしょっちゅう持っていくようになった。好きなんだよね。作るの。

去年までは作ったら、家で一緒に食べてくれる息子がいた。夜遅くに塾から帰ってくる息子と夜な夜なコーヒーや紅茶を淹れて、色んな話しをしながら一緒に食べる時間が楽しみだった。太ってもいいから、その時間を大切にしていた。

でも、今年の4月から息子は遠くの大学で頑張ってて。頑張ってるのは嬉しいから我慢するけど、でも家で一緒に食べてくれる人は居ないんだ。寂しい。

だから持っていくようになってしまった。大好きな人達に食べてもらいたくて。

息子がもうすぐ帰ってくる。そうしたら思いっきり甘えよう、そう思っている。


もうすぐ今年も終わる。新しい年がやってくる。 
でも友達は、喪にふくすため、おめでとうじゃない。
とてもそんな気分にもならないだろう。

何がおめでたいんだ?なんでだ?どうして娘はここにいないんだ?

きっと、また終わらないぐるぐる思考を続けるのだろう。

年があけたらまた会いに行く。
友達の話しを聞きに行く。
きっと、色んなことを感じて、話したいことはいっぱいあるだろう。

圭ちゃんには内側の気持ちで話したい。そう言ってくれた。
いいよ。なんでも聞くよ。
私も内側の気持ちがいい。外側の気持ちだったら私は悲しい。と言った。

表向きの言葉じゃなくて、心の内側、なかなか誰でもは触れることが出来ない気持ちを聞きに行く。
またお菓子を持って。
今度は何を作ろうかな。。。

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