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ずーっと ずっと だいすきだよ
ハンス・ヴィルヘルム 絵・文
久山 太市 訳
大好きな絵本です。
エルフィーのことを、はなします。
エルフィーは、せかいで いちばん、
すばらしい犬です。
ぼくが小さかった時から一緒に育ったエルフィー。でも、エルフィーの方がずっと早く大きくなります。
そして、エルフィーとぼくは、毎日いっしょに遊びます。
ここからが私の好きな場面です。
ときどき、エルフィーが わるさをすると、
うちの かぞくは、すごくおこった。
でも、エルフィーを しかっていながら
みんなは エルフィーのこと だいすきだった。
すきなら、すきと いってやればよかったのに
だれも、いってやらなかった。
いわなくっても。わかるとおもっていたんだね。
いつしか時が経っていき、ぼくが大きくなるとエルフィーはどんどん太って、歳をとっていきます。
いっしょに眠るために、階段を登れなくなったエルフィーを、抱えてぼくの部屋に連れていきます。
ぼくは、エルフィーに、やわらかいまくらをやって、ねるまえには、かならず
「エルフィー、ずーっと、だいすきだよ」って
いってやった。
エルフィーは、きっとわかってくれたよね。
そして、ある朝、死んでしまったエルフィー。
ぼくたちは、エルフィーを、にわに うめた。
みんな、ないて かたを、だきあった。
にいさんやいもうとも、エルフィーがすきだった。でも、すきっていってやらなかった。ぼくだって、かなしくてたまらなかったけど、いくらか、きもちがらくだった。だって、まいばんエルフィーに、「ずーっと、だいすきだよ」っていってやっていたからね。
言わなくても、わかっているだろう。
身近にいたら、つい思ってしまいそうなこと。
大事なことなんだけど、当たり前すぎて言わなくてもいいだろう、改めて言うのも恥ずかしいし。
そんな感じかなぁ。
すきだよ、って言葉。
本当は大事なんですよね。この言葉。
ちゃんと伝える、ということ。
それを気付かされる本です。
娘が小学校に入る前にこの絵本を見つけて、見つけた瞬間から大好きで、子どもたちに家でよく読んでいました。読んでは、子どもたちをぎゅーって抱きしめて、大好きだよ、って言っていました。
私もこの絵本の"ぼく"を見習って、寝る前にはいつも「大好きだよ。おやすみ。また明日ね。」
そう言って子どもたちの部屋を後にしていました。
娘が小学校に入学したら、国語の教科書にこのお話しが載っているのを見つけ、やっぱりいい本なんだよね!って、勝手に納得して、そして嬉しくて、更に大好きになった絵本です。
最近はずっと、わたしも愛犬と一緒に眠ります。
歳をとって脚が弱くなって、目も白内障で見えなくなって。わたしは階段も登れなくなった愛犬を、毎晩毎晩、抱っこしてわたしの部屋まで連れていきます。
抱っこする時に、いつも言います。
だーいすき、って。
いつもこの瞬間、愛おしくなるんですよね。
愛犬のために言うんじゃない、わたしは自分のために言ってるんだ、っていつも思います。
でも、やっぱり死んじゃったら悲しくてしょうがないだろうなぁ。"ぼく"が言うように、いくらか楽に…なるのかなぁ?
わからないけど、でも 毎晩 言います。
だーいすきだよ、って。
いつかぼくも、ほかの犬を、かうだろうし
子ネコやキンギョも、かうだろう。
なにをかっても、まいばん
きっと、いってやるんだ。
「ずーっと、ずっと、だいすきだよ」って。