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私の選んだ生き方

短大を出て中学校で働いていた私は、とても生き甲斐を感じていた。大変だったけど、とても楽しかった。教えている子どもたちが可愛いかった。
でも私に子どもができて、何かが変わった。学校の先生を続けることを選ばなかった。

なぜ続けなかったの?
何度も聞かれた。

理由はその都度思っていたことを話してきた。
旦那が先生をしているので、家に2人も先生がいたら子どもが可哀想だ、とか。
わが子の学校行事に行けなくなるのは嫌だ、とか。

きっちり仕事を優先するため、旦那の帰りは遅い。そのため、私が家庭のために仕事を中途半端で終わらせて帰らなければならないのが我慢できなくなる、とか。

そのどれもが正解で、私の中の理由としては1つとして間違っていない。だけど、何かがいつも引っかかっていた。何か、それだけでない何かがある感じがどこかでしていた。

我が子が大きくなり、家を出た今、やっと自分がどうして先生を続けなかったのかがわかった。


今年、仕事先にいるバイトの学生たちが今まで以上に可愛く思えるのがちょっと不思議だった。
ちょうどわが子ぐらい。本当に我が子のように可愛い。もしかしたら、我が子が家にいないから、我が子を見るような目で見てしまっているのかな?とも思っていた。

ん?私、同じ気持ち、学校で働いていた時にも持っていたな、と思い出した。ちょうどこんな気持ちだった。この子達のためなら、私は喜んで火の中に飛び込むかもしれない、そんなことを思っていた。

だからだ。。。
だから、続けなかったんだ。
我が子を置いて、よその子を守るために火の中に飛び込んではいけない。

いつ、いかなる時も我が子を一番に優先したかった。何があっても我が子のために動きたかったし、考えたかった。それがわたしの選んだ生き方だった。だから、家でしっかり子育てができる環境の仕事を常に選んできた。


そのことに気づいた直後、友達のことを思った。
仕事を優先しすぎていた、と後悔してもしきれない彼女。我が子を失った悲しみと、自責の念で潰れそうな彼女。どうしてあんなに仕事を頑張ってしまったのだろう。どうして娘の様子に気づけなかったのだろう。あんなに仲良かったのに。なんでも話してくれていたのに、どうして1番大事なことを話してくれなかったんだろう。どうして。どうして。

ずっと同じことを繰り返しぐるぐると考え続けている彼女。答えは出るはずもない。もう、大事な娘はこの世に居ないのだから。きっと一生、彼女はそのことを考え続けているのだろう。

涙しか出てこなかった。
私の選んだ生き方と、彼女の選んだ生き方と。
我が子に対する愛は同じくらい大きいのに。

何が違ったのだろう。
どうして彼女の子どもはいなくなってしまったのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。


私は私の選んだ生き方に後悔はない。
でも、その傍でそれだけでない気持ちが湧く。私もぐるぐる考えることを続けてしまう。

あの日から、いつも喜びの傍に悲しみがある。表裏一体となった気持ちは、いつも私の心をぐるぐるとかき混ぜる。

この気持ちを少しづつ整理したくて、一昨日から文章を連ね出した。

少しづつ、思いつくままに連ねてみようと思う。

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