「おちんちん」の話をしようか
「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる」のは重々承知しているが、最近は重く心に伸し掛かるニュースが以前にも増して多いように感じる。
どこかの国の学校が、どこかの国の軍隊によって空爆され、何の罪もない多くの子どもたちが命を落とすのはあまりにも非情すぎないか。世界中の人たちがシュプレヒコールを上げても、偉い人たちがサミットで話し合っても、一向に争いが収まらぬ現状をどう理解すれば良いだろう。
「あ!かじだよー!かじだ!見てみてー」
空爆されて荒廃した街を見て、我が娘(「あたち」)はこう叫んだ。近所で起こる火事ならば消防車がやってきて、消火した後に原因を究明し、もし放火ならば警察官が悪い奴を捕まえてくれる。でもテレビのニュースに映し出されるこの火事を仕掛けた悪い奴はなぜいつまでも捕まらないのか?
…そんなことを「あたち」が理解できるかどうかは定かではないが、子どもというのは実に正直で、そこには忖度も検討も善処も存在しない。
ところで「あたち」の幼稚園では今、"あるもの"が話題になっているようだ。忖度も検討も善処もない童子は、"あるもの"が気になり始め、何に臆することなく私に口を開いた。
「おちんちんってとてもだいじなものなんだって。あかちゃんのたねがはいっているから、きずついたらたいへんなんだよ」
友達の身体に自分にはない"あるもの"がくっついている。その"あるもの"はとても大事な存在らしい。ではなぜ自分にはついていないのか…まさに徳川埋蔵金を探し当てる黄金スペクタクルロマンの如く、「あたち」はおちんちんの謎に真摯に向き合っていた。
一般社会において「おちんちん」の話題はタブーに近いし、フレーズそのものがセクハラを体現していると評しても過言ではない。でもよく考えてみたい。「おちんちん」は裏金を作らないし、パワハラもしないし、どちらかというと愛嬌のあるいい奴である。それに国家の存亡の危機に関わる少子化を考える際には、非常に重要な"登場人物"こそ「おちんちん」であり、タブーに押し込めすぎるのはよろしくない。
子どもの「おちんちん」に対する疑問にどう答えるか。ここで話題を逸らしたり、恥の概念を植え付けてしまうと、思春期になって性の悩みを心の奥底に隠してしまうかもしれない。だからといって、自分も性教育に対する知識をほとんど持ち合わせていないので、間違った伝え方をしてしまうかもしれない。
なので、飽くまでも自然体で「おちんちん」についてざっくばらんに対話している。冒頭の「かじ」についても、突き詰めれば政治的な話になってくるが、政治の話だって一般社会ではタブーになっていて、なんだか変だ。「おちんちん」にせよ政治にせよ、みんなの話題になったら困る何かがあるのだろうか。
「おちんちん」の話をしようか。そうすると、世の中が少しずつ変わっていくかもしれない。
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