「出家」僧から見た皇族

昔々、まだ肉食妻帯がご法度だった頃。文字通りの「出家」僧侶が、何ゆえに人々から尊敬され、托鉢などの供養をされていたか?

それは家を出る(捨てる)、そして妻子も持たず身一つで仏の法を修め、戒律をたもつ、その姿・在り方そのものが私達凡俗にはとても真似のできない、いわば自己犠牲的な尊さを彼らに見たからである。 我々と何ら変わらぬ欲に満ち、家も車も買い、妻子も持つような僧侶を誰が尊敬するだろうか?

これと似て非なる存在が皇族である。皇族がなぜ尊いか? 我々とは根本的に違う、民の安寧のために祈り続けるお方の一族だから、ということになっている。そこに貫かれるお立場も自己犠牲と言ってよいだろう。我々と何ら変わらぬ欲にまみれたような存在であるのならば、誰一人尊敬されないはずである。

今回の娘可愛さにいろいろと好き勝手にしてきた秋篠宮家。どこまで小室圭に皇室特権を使ったか(忖度させたか)は不明だが、ゼロとは言えないだろう。そして国民に言われなき誹謗中傷された被害者として、恨みがましく会見し、疑惑には何一つ無実証明せずに外国へと飛び去った。膨大な警備を従えて。

尊敬される存在でなければ、それは要らないとなる。否、宗教であれば信者によって供養されるべきで、国民一般からの供養を求めるのはお門違いである。一連の儀式を執り行わなったのだから皇室とは一線を画している? ならばあの警護はなんだろうか?皇室特権ではないとでも言うのだろうか。

破綻した擁護の意見は、もはや意味をなさない段階である。

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