6/3 ②甘えなんてとっくにわかってるよ。
感情日記 6月3日
なんだか急に午後から気分がふさぎ込んだ。
一昨日診察を受けてから、運動はある程度してみようと思ったけど
午後からは外に出る気力すらなくて
ご飯をレトルトのものとめかぶ納豆を用意するので精一杯になった。
なんだか気分が落ち込む。
頼れる人はいない。
というか、多分頼っても大丈夫な人はいるんだけど
もう私の中に「精神的に人を頼る」という言葉自体をなくしてしまった。
頼ろうかなと一瞬思っても、もう身体がそうできない感じになってしまった。
怖すぎるんだ。人に頼るのが。
こんなの生き辛いに決まってる。そんなこと100も知ってる。
でもそれでも今の自分は無理なものは無理で。
誰かに相談したときに、自分が望んだ答えとは違う答えが返ってくるたび傷ついていた。
本当はすべてを受け入れてほしかったのに
理論や方法を説明されて
「そんなのは甘えだよ」
「そこはやるべきだよ」
と言われた。
やるべきだなんてことはとっくの前からわかってる。
それでもできないから相談してるのに。
しかも大人に言われるもんだから、変に反論とかもできなくて
いつもできない自分が悪いんだって思ってた。
でもさ、よく考えてみてよ。
小さいころにちゃんと甘えられなかった人が、
子供の生活を送れなかった人が
歳をとって大人になれると思う?
きちんと甘えられる場所があって
きちんと反応してくれる人がいて
全てを受け入れてくれた人がいるからこそ
人は歳をとってまた同じことを繰り返せるんじゃないのかな。
自分だけ甘えられる場所が無くて
全てを受け入れてくれる人がいないのに
生んだ子供に対しては甘えさせてやれ?
できるわけがないんだよね。
自分がそう育てられたわけじゃないんだから。
その傷は癒されてないんだから。
別にその人に甘えさせてくれって言うつもりはないし
その人は良かれと思ってアドバイスをしてくれてるわけだから
その人たちを非難したいわけではないけれど
そういうことを理解してる大人の人が居たらなあ。って思った。
まあ、その人自身も甘えられてなかったのかもしれないけど。
実際私は、2年前の夏に小学生の相手をするボランティアを
3週間ほど経験した
最初は心に余裕があったし、楽しかったけど
段々苦しくなってきて、子供と遊ぶことが苦痛でしかなくなった。
小学生なんて、思う存分大人に甘えてくるし
私の立場はそれをちゃんと受け止めないといけない場所だった。
でも私は、無理だった。
自分が昔こんなに上の人に甘えられた記憶がほとんどないからか
段々小学生が羨ましく感じてきた。
最終的には体調を崩して帰ることになったんだけど
あれ以来子供と遊ぶのは基本的に嫌いだ。
表面の皮は精神年齢が今の自分の年齢よりも
大幅に上回っているとは思うけど
奥底の自分の芯は精神年齢2歳くらいだと思う。
だからこそ今の自分の雰囲気とギャップが激しすぎて
人と付き合うのが怖いっていうか
あんまり深入りしないようにしてる。ここ最近は特に。
平気で自分が思ってもないようなことに同意するし
相手とその場をなんとなくやり過ごせたらそれでよくて
本当に頼りたいときは1人でじっとしてる。
今まで傷ついた経験があるって言ったけど
だからと言って自分は別に被害者でもなんでもなくて
結局その言葉を受け入れたのは自分。決めたのは自分。
傷ついたのも自分なわけだから
結局全部は自分で選択していること。
こうやってもう誰にも心を開かないって決めたのも自分だし
誰かと深入りして付き合うのもやめるって決めたのも自分。
人生の色んなことを諦めるって決めたのも自分だし
死ぬのが怖いから生きとくって決めたのも自分。
もう誰からのアドバイスも聞きたくないし
誰からの助言も欲しくない。より良く生きようなんて思ってない。
前向きにとか、自分を大切にするとか、人に頼るとか、
心の声を聞くとか、身体の声を聞くとか、
もう疲れたんだよ。もういらないんだよ。聞こえないし、わかんないし、知らないんだよ。
「心の声を聞くことが大切?」
んなもんずっとやってきたわ。
でも大切なところで毎回負けて
結局もとに戻ってきたんだわ。知らんけど。
そんなことすらももうどーでもいい。
投げやりだー。明後日レコーディングなのに。
鬱状態早く治らんかなあ。
幸せじゃなくていいから楽に生きていたい。
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